学問の神様・菅原道真: 三芳野神社

【川越】三芳野神社。菅原神社:川越市今福673
【埼玉県外】福岡県・太宰府天満宮。京都府・北野天満宮

菅原道真(すがわら の みちざね、845年 - 903年)は、学問の神様、天神(てんじん)様としてうやまわれています。

学者としては異例の右大臣に昇進しましたが、政敵のたくらみで福岡県の大宰府(だざいふ)に流され、そこで 死にました。
死後、朝廷により天神様としてまつられています。

なお、うらみをのんで死んでいった著名な人は、神社にまつられることがあります。
不幸な事件が 次々に起こると、当時の支配者達は、恨みをもって亡くなった人がたたるんだと受け取りました。
たたりをしずめるために、神社等をつくりました。
神田神社の平将門も同様です。

童謡「とおりゃんせ」の発祥地は、三芳野神社だといわれています。(異説あり。)
川越は、江戸の北の守りであり、豊富な物資の供給地だったため、有力な大名が殿様になりました。
そのため川越城の警備は厳重でした。
天神様(菅原道真)をまつる三芳野神社は、川越城内にあり、庶民は年に1回だけ入ることを許されました。


子どもが7つになるとお参りする習慣がありました。
昔は幼児死が多く、7歳まで育つのは大きな幸運と考えられました。
それで天神様に感謝をし、さらに学問についてもに行く末をよろしくとたくしたのでした。

年に1回ようやく城内に入ったものの、見張りの監視の目は鋭く、帰り道で、キョロキョロまわりを見回そうものなら、「何をしている。さっさと歩け」と庶民はどやされました。
これが「行きはよいよい。帰りはこわい」になったものです。

菅原道真の代表歌は、

「東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春な忘れそ」

です。
≪京の都の梅の花よ、東の風が吹いて春が来たら、その香りを遠く離れた九州の私の元まで届けておくれ。
主人が居なくなったからといって、春を忘れてはいけませんよ。≫

 通りゃんせ   歌詞