・1866年11月18日(慶應2年10月12日) - 1941年(昭和16年)6月19日)
川越市には歯医者さんが多いような気がします。
石原久( ひさし)は、川越藩の御典医の子として生まれました。
永島家(武家屋敷跡、後述)最後の住人でもありました。
東大を卒業後、米独に留学し、東大付属病院に歯科を開設しました。
日本で最初の「歯科」教室をつくりました。
同教室には後に日本大学総長となる佐藤運雄、
現東京医科歯科大学創立に尽力した島峰徹、金森虎男、
東京医科歯科大学学長となる長尾優、
名古屋大学教授となる北村一郎、伊澤信平などが参加し、
陸軍軍医学校からも学生を受け入れました。
現・日本口腔科学会を創立し、会長となりました。
永島家・武家屋敷跡 石原家が最後に住んでいました。 |
今では、貴重な武家屋敷の遺構です。
埼玉県に唯一残る旧武家屋敷で、関東でもほとんど残っていません。
武家屋敷の外囲いはカラタチの生垣で囲むものとされていました。
その頃の川越は、「坊主、カラタチ、医者、山伏」が多かったと案内板に記されています。
永島家の武家屋敷跡は、三久保町(さんくぼちょう)にあります。
三久保町とは、北久保、堅久保、南久保などをあわせた呼称です。
三久保町は武家屋敷町でした。
250石~300石の中級藩士の家が30軒ほどありました。
◇ ◆ ◇
【名言】
(独言)「私は、川越藩の御殿医(殿につかえる医者)の息子でした。東大、ドイツで勉強して、大学で最初の「歯科教室」をつくりました。
(※)日本画家・橋本雅邦も川越藩の御典医の子です。
末期には御殿医はほぼ30人いました。
(※)この稿は、2013年、永島俊三郎さん(1932年生まれ、川越高校卒)からの聞き書きを元にしました。
永島俊三郎「ご参考までに石原 久様の東京帝国大学名誉教授記念像が存在します。
普通はブロンズ像ですがそれは希少な木造です。
東京大学医学部付属病院顎口腔外科・歯科矯正歯科で保管中です」
カラタチの玄関 |
庭内の富士見塚 |
庭 |
切腹の間 |
(※)隠れた観光スポット・永島家周辺
永島家やその周辺は、歴史や物語を発掘すると観光みがきになるいい例かもしれません。
・永島家周辺には、ウナギの小川藤(おがとう)があります。
・Chabudai(ちゃぶだい)ゲストハウス
・ジャズ喫茶チモトコーヒーがあります。
・裏手は七曲りの路地です。
・近くには中央公民館があります。
・チンチン電車(川越電気鉄道)の始発駅跡があります。
・川越火力発電所跡:埼玉県電灯発祥の地があります。