2011/06/19

山上憶良は万葉集の代表歌人

山上憶良の歌碑

― 山上憶良(660―733?、73歳) 万葉集の代表歌人 ―

山上憶良(やまのうえのおくら)は、『万葉集』の代表歌人です。
柿本人麻呂、大伴家持、山部赤人らと共に奈良時代を代表します。

遣唐使に加わって中国にわたりました。

伝統のある家がらではなかったため、役人としては出世しませんでした。

筑前国(福岡県)の国守となり、歌人でもあった大宰帥の長官・大伴旅人と親しくなりました。

このころから、山上憶良は歌をたくさん作るようになりました。

人生の苦しみを、うたいつづけ「人生詩人」とよばれるようになりました。

『万葉集』には70首あまりの歌がおさめられています。

『貧窮問答歌』が有名です。

山上憶良の赴任先の福岡県太宰府市には、多くの歌碑があります。

「憶良らは 今は罷免(まか)らむ 
    子泣くらむ それその母も 
        吾(あ)を 待つらむそ」

<憶良たちは、もうおいとまいたします、子どもも泣いているでしょうし、その子の母も私を待って居るでしょうから。>

筑紫太宰府における山上憶良

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山上憶良の歌碑は、柿本人麻呂神社の脇に
山上憶良の歌を刻んだ碑が氷川神社内の柿本人麻呂神社の脇にあります。

有名な「令反惑情歌」(まどえるこころをかえさしむる歌)です。
歌碑は、『三芳野名勝図絵』の著者中島孝昌の孫、芳嶺が1887年に建てたもので す。