2013/01/27

吉田松陰。日本を改革したスーパー先生。 /【お知らせ】19日 「神社あれこれ」の講話

吉田松陰。日本を改革したスーパー先生。Yoshida Shōin。11月21日没  

山田宮司「神社あれこれ」11月19日(火)18時~   氷川会館
講話のあと、ブッフェ形式の懇親会をお楽しみください。19日は晴れです。

・1830年9月20日。長州藩 ~
 1859年11月21日没。 29歳。江戸
吉田松陰の肖像 その1(拡大画像)
吉田松陰   :NDL
吉田松陰(しょういん)は、幕末の尊王論者です。
長州藩の下級武士に生まれます。

早熟で、幼児からきびしい教育を受け、11歳のときにすでに藩主の前で講義をおこないます。

1848年(満18歳)、藩の師範となります。
1849年(19歳)、九州を遊学します。
1850年、諸国を遊学します。
1851年(21歳)、江戸で佐久間象山に学びます。
1854年(24歳)、佐久間象山の影響で海外渡航をくわだてます。
    下田でペリーの軍艦に乗り込み、密航をはかりますが失敗します。

その時の歌です。
「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂.」

(このようなことをすれば、このようなことになることは知っていたが、やむにやまれぬ気持から行動に踏み切った。これが日本人の魂なのだ。)

山口県萩の野山獄(のやまごく)に収容されます。
11人の士族が入獄していました。
吉田松陰はここで、互いに教えあう獄中教室を開きます。
牢役人までが松蔭に弟子入りします。

のちに生家での禁錮となります。

討論型の授業。左端が松蔭  :吉田松陰先生絵伝
ゆるされてから松下村塾(しょうかそんじゅく)を開いて、一人ひとりに合った個別授業、珍しい討論形式の授業をおこないます。
授業は、上下ではなく、横の関係でおこなわれました。

8畳と10畳のちっぽけなこの塾で吉田松陰が教えたのは2年弱です。
24時間休みなしの熱血塾でした。

松下村塾は、
高杉晋作、
伊藤博文、
山県有朋、
久坂玄瑞、
井上馨、
前原一誠など明治維新の立役者を輩出します。

このちっぽけな塾から、総理大臣2名、大臣4名、県知事4名を出しています。


大老・井伊直弼(なおすけ)による安政の大獄で、反幕行為のかどで、江戸に搬送されます。井伊直弼は、罪案の「流罪」を「死罪」と書き直します。江戸で斬首されます。


松陰の思想は、思想と実践の一致です。
真心をもって事にあたれば、道は開けるものだという信念です。

辞世の句です。

「身はたとひ  武蔵の野辺(のべ)に
朽(く)ちぬとも
とどめおかまし大和魂」

(この身はたとえ武蔵の辺境に朽ち果てるとしても、
とどめて置きたいものだ、私の大和魂(日本固有の心)は)


吉田松陰の伝記を世界で初めて記したのは、R.L.スティーブンスンです。『ジキル博士とハイド氏』、『宝島』の作者です。
    YOSHIDA-TORAJIRO 



松蔭神社 世田谷区

(※)安政の大獄  
1858-1859年、井伊直弼が尊王攘夷運動にくわえたきびしい弾圧事件です。
100名以上の公家、大名、志士が罰せられます。


伊豆 下田の吉田松陰スポット 











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【これから】


@@@【+】

伊藤博文や高杉晋作が門下生です。

10歳で兵学を習得し、毛利藩主にも講義をしました。

幕府を批判し、30歳で処刑されました。