2013/01/27

吉田松陰:日本を改革したスーパー先生

吉田松陰の肖像 その1(拡大画像)
吉田松陰   :NDL
吉田松陰(しょういん、寅次郎、1830- 1859、享年29歳)は、幕末の尊王論者です。
長州藩の下級武士に生まれます。

早熟で、幼児からきびしい教育を受け、11歳のときにすでに藩主の前で講義をおこないます。

1848年(満18歳)、藩の師範となります。
1849年(19歳)、九州を遊学します。
1850年、諸国を遊学します。
1851年(21歳)、江戸で佐久間象山に学びます。

1854年(24歳)、佐久間象山の影響で海外渡航をくわだてます。
下田でペリーの軍艦に乗り込み、密航をはかりますが失敗します。

その時の歌です。
「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂.」

(このようなことをすれば、このようなことになることは知っていたが、やむにやまれぬ気持から行動に踏み切った。これが日本人の魂なのだ。)

山口県萩の野山獄(のやまごく)に収容されます。
11人の士族が入獄していました。
吉田松陰はここで、互いに教えあう獄中教室を開きます。
牢役人までが松蔭に弟子入りします。

のちに生家での禁錮となります。

討論型の授業。左端が松蔭  :吉田松陰先生絵伝
ゆるされてから松下村塾(しょうかそんじゅく)を開いて、一人ひとりに合った個別授業、珍しい討論形式の授業をおこないます。
授業は、上下ではなく、横の関係でおこなわれました。

8畳と10畳のちっぽけなこの塾で吉田松陰が教えたのは2年弱です。
24時間休みなしの熱血塾でした。

松下村塾は、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋、久坂玄瑞、井上馨、前原一誠など明治維新の立役者を輩出します。

このちっぽけな塾から、総理大臣2名、大臣4名、県知事4名を出しています。

大老・井伊直弼(なおすけ)による安政の大獄で、反幕行為のかどで、江戸に搬送されます。

井伊直弼は、罪案の「流罪」を「死罪」と書き直します。

江戸で斬首されます。

松陰の思想は、思想と実践の一致です。
真心をもって事にあたれば、道は開けるものだという信念です。

辞世の句です。

「身はたとひ  武蔵の野辺に
朽(く)ちぬとも
とどめおかまし大和魂」

(この身はたとえ武蔵の辺境に朽ち果てるとしても、
とどめて置きたいものだ、私の大和魂(日本固有の心)は)

吉田松陰の伝記を世界で初めて記したのは、R.L.スティーブンスンです。
『ジキル博士とハイド氏』、『宝島』の作者です。
Yoshida Torajiro

松蔭神社 世田谷区

(※)安政の大獄  
1858-1859年、井伊直弼が尊王攘夷運動にくわえたきびしい弾圧事件です。
100名以上の公家、大名、志士が罰せられます。