川越城下でくつろぐ3代徳川家光
「江戸図屏風」(えどずびょうぶ)は、江戸市街地および川越などの景観を画題にし、3代家光の狩猟、乗馬などの行為を描き込んだ一対の屏風です。
左側の屏風には江戸の町並みと江戸城が描かれています。
右側のは川越城と周辺が描かれています。
右側のは川越城と周辺が描かれています。
川越が家光と深い関係にあったことがわかります。
ここでの「江戸」は武蔵のことで、川越も含まれます。
3代家光の行為に焦点をあてながら、初期の江戸城と町の様相を描いています。
屏風を鑑賞するための基礎知識
・家光は川越を9回以上も訪ねています。(2代秀忠の記録は不明)
・家光は、天海が病気になったとき、江戸城から1ヶ月余の間に4回も上野の寛永寺に見舞っています。
・日光の家光の廟所(びょうしょ)・大猷院(たいゆういん)は、天海の墓所が守るようにつくられています。
・川越藩は、老中を6名、大老を2名輩出しています。
・3代将軍・徳川家光は、川越びいきだったようです。
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1657年に明暦の大火があり、江戸は大きく変わりました。
その前の史料は極端に少なく、この江戸屏風図は初期の江戸を知る上で希有の史料となっています。
1965年に発見されました。
松平信綱が1634年頃に絵師に制作させたものです。
このころ信綱は家光によって老中待遇に引き上げられました。
1637年10月16日、家光夫妻は松平信綱邸を訪問しました。
この屏風は、室内の仕切り屏風として使われました。
このときだけ使ったので、保存がいいです。
金雲は寛永期に流行したものです。
静的でとりすました表情になっているのも将軍にお見せするから当然です。
川越城は松平信綱による改築以前の姿を示しています。
江戸城本丸・天守
松平信綱:川越藩一の名君
江戸図屏風【画像】
【cf.】黒田日出男『江戸図屏風の謎を解く』
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