アンベードカル |
インドでは仏教は、いったん亡びました。
…。
しかし、今では、1億人の信者がいます。
インド人の10人にひとりが仏教信者となっています。
ヒンドゥー教は、カースト制度により人を差別します。
これに対して、ブッダは、血統、階級、民族にとらわれない普遍主義を主張しました。
これが都市部の新興の商工業者層に取り入れられました。
しかし、時代が下るにつれて、仏教もどんどんヒンドゥー教の影響を受けるようになりました。
そこに、強固なイスラム教が入ってきたため、ヒンドゥー化した仏教は、衰退の一途をたどりました。
最下層の不可触民として生まれたアンベードカル( Ambedkar、1891-1956) は、激しい差別に耐え、藩王からの奨学金を得て、米英に留学もしました。
不可触民のためには何もしないガンディーと対立しました。
ネルー内閣では、法務大臣をつとめ、憲法の起草にもつくしました。
弁護士として出発しましたが、同時に社会運動家、政治家、ジャーナリスト、教育者などの多彩な活動をとおして、反カースト、不可触民の地位向上に献身しました。
1956年、アンベードカルは30-50万人の不可触民とともに仏教に集団改宗し、新仏教運動をはじめました。
アンベードカルは、カースト制度をささえる業(ごう)の思想、輪廻(りんね)の思想を否定し、これこそがブッダの思想の核心だとしました。
しかし、これを、仏教界は異端の思想としました。
アンベードカルが死の直前にまいた種は、半世紀後の今日1億人の信者を擁するまでになりました。
いまこの新仏教運動は日本人の Shurei Sasai(佐々井秀嶺、しゅうれい)によってひきつがれています。
アンベードカル【画像と物語】