嘉納治五郎。柔道の父。5月4日没。Kanō Jigorō

嘉納治五郎。柔道の父。5月4日没。Kanō Jigorō
嘉納 治五郎 32歳 

・1860年12月10日- 1938年5月4日没。77歳。兵庫県

嘉納治五郎は、いろいろの柔術の長所をとり入れ、
1882年「柔道」と名づけて講道館をおこし、これを広めました。

同年に東京大学医学部を卒業している人物に
森鴎外がいます。
『雁 (小説)』の登場人物「石原」は
東大時代の嘉納治五郎をモデルにしているとも言われています。


柔道以外にも、日本におけるスポーツの道を開きました。
「柔道の父」、「日本の体育の父」ともよばれます。

1879年、渋沢栄一の依頼で渋沢の飛鳥山(あすかやま)別荘にて
ユリシーズ・グラント前アメリカ合衆国大統領に柔術を演武しました。


嘉納治五郎は、東大を卒業し、教育者としても尽力し、
1882年から
学習院教頭、
1893年より25年間ほど現・筑波大学の学長
をつとめました。


名言

「人生には何よりも「なに、くそ」という精神が必要だ」


【コメント】

空手道にも、諸流派が
一つにまとまるためには
嘉納治五郎のような、学にたけ、人望がある超一級の人が必要でした。

講道館

【2分】嘉納治五郎 熊本大学

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