2013/03/22

1928年の京都会津会

昭和3年京都会津会秋季例會記念写真 昭和3年(1928)。 同志社社史資料センター蔵
昭和3年(1928)、この年は会津の人々にとっては忘れられない年となった。  
そもそも同年11月には昭和天皇の即位の礼が行われた。
慶賀に満ちた年である。

  御大典に先立つ9月28日、昭和天皇の皇弟・秩父宮雍仁親王の婚儀が行われた。
妃殿下になられたのは旧会津藩主松平容保の6男松平恒雄の長女。

御成婚に際して、親王実母貞明皇后の名「節子(さだこ)」と同字であることから、皇室ゆかりの伊勢そして松平家の会津から一字ずつ取り、同音異字の勢津子に改めたという。
改名に会津人としての誇りが察せられる。

そしてこの御成婚を会津の人々は心からから喜んだ。
「逆賊」「朝敵」の領袖である松平容保の孫にあたる勢津子の入輿は、旧会津藩の士族の復権に繋がるものと理解されたのだった。

  11月17日、京都会津会秋季例会が催された。
明治元年(1868)9月22日の鶴ヶ城落城からおよそ60年後、歴史の悲劇を忘れなかった会津の人々は、京都守護職会津藩主松平容保が本陣とした黒谷に集ったのだった。
参会した人々は法要後に会津墓地内記念碑前において記念撮影を行った。

 参会者の中央には会津松平家当主保男、松平恒雄、山川健次郎など歴史に名を刻んだ人が座している。そして前列左から3番目には八重の姿も見える。

  この記念写真の裏面に、八重は一首を書き記した。
               千代ふとも いろもかわらぬ若松の 木のしたかげに 遊ぶむれつる
何年経たとしても変わらぬ郷土愛のもとに集まる会津人のことを詠っている。60年にものぼる苦難を乗り越えた会津の人々。 その彼らをつないでいたのは、郷土を想う心、そして‘絆’だった。