墓前の宴会 (※) |
テントを張るための留め金止め 先祖との交流は、長時間にわたるので、 雨や日差しをさけるために、テントが必要になります。死は生活の一部です。 読谷村 |
お墓から見た読谷(よみたん)の海 お墓は海を向いています。 ニライカナイ信仰と関係づける人もいます。 |
仏教もキリスト教もイスラム教も、「死後の世界は存在する」ことになっています。
沖縄人は他界を強く信じており、 この世と他界(あの世)を自由に行き来するので、 世界がひとつだけの本土人より、ふところが深く余裕があります。
沖縄石垣島育ちの池上永一は、 強烈明朗で奇天烈な話を炸裂させる作家です。
『夏化粧』は、あの世とこの世は行き交うことができることが当然のようにえがかれています。
読み進んでいくうちに「沖縄では、さもあらん」と妙に納得してしまいます。
墓前で、家族や親戚がそろってお供えの料理をいただく宴会のようなシーミー(清明祭、4月ごろ)にもこのことがよく表されています。
◇ ◆ ◇
沖縄では数えの97歳になると、カジマヤー を祝います。
風車を持ってオープンカーに乗り、街をパレードします。
これは、三途(さんず)の川を渡る予行演習です。
三途の川は死後7日目に渡ることになっています。
これを要するに、 沖縄の生活世界では、
幽明(あの世とこの世)の垣根が低い、
生死のわけへだてがないと言うことですということです。
カジマヤーで村を行列 (※) |
人生最高の日の97歳 (※) |
風車を持ってオープンカーに乗り、街をパレードします。
これは、三途(さんず)の川を渡る予行演習です。
三途の川は死後7日目に渡ることになっています。
これを要するに、 沖縄の生活世界では、
幽明(あの世とこの世)の垣根が低い、
生死のわけへだてがないと言うことですということです。
沖縄では、老人も尊敬され、おだやかに生きています。
沖縄で時間がゆっくり流れるのは、
生きている間にできなかったことはあの世でやればよいからです。
この世とあの世は行き来自在です。
ここにイヤシの源泉があります。
人が沖縄で、ほっとし、くつろぎ、いやされるのは、このためです。
【追記】 :
(※)
http://www.okinawainfo.net/shiimii.htm
http://www.studio-bythesea.com/photolog/2008/05/05/1-2.html
http://daxiazzz.ti-da.net/e2170392.html