持統天皇は古代史上最強の女帝。父は天智、夫は天武。 Empress Jitō 。1月13日没
持統(じとう)天皇の頃、
初めての対外戦争・白村江(はくすきのえ、663年)の戦いで
我が国は大敗します。
相手は、唐・新羅(しらぎ)連合軍でした。
日本は国内がバラバラのまま戦い、負けました。
この状態で、
唐・新羅(しらぎ)連合軍に日本に攻め込まれたら、
亡国の危機でした。
国をまとめ、中央集権化をはかることが必要でした。
国をまとめるためには、
国家神話
が必要でした。
乱立状態の各地の神話をまとめたのが
古事記
です。
持統天皇は「権威」と「権力」を分け、
権威は皇室に、
権力は官僚に
まかせました。
これにより、
皇位は、実力でなく、
初めての対外戦争・白村江(はくすきのえ、663年)の戦いで
我が国は大敗します。
相手は、唐・新羅(しらぎ)連合軍でした。
日本は国内がバラバラのまま戦い、負けました。
この状態で、
唐・新羅(しらぎ)連合軍に日本に攻め込まれたら、
亡国の危機でした。
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| http://sky.geocities.jp/jyunpujyunpu/hakusonkou002b/hakusonkou002b.htm |
国をまとめ、中央集権化をはかることが必要でした。
国をまとめるためには、
国家神話
が必要でした。
乱立状態の各地の神話をまとめたのが
古事記
です。
持統天皇は「権威」と「権力」を分け、
権威は皇室に、
権力は官僚に
まかせました。
これにより、
皇位は、実力でなく、
血縁で決まるようになり、
争いがなくなりました。
それまでは、
30歳以上の実力のある弟が継ぐのが、常道でした。
国名「日本」が現れたのは、この頃です。
争いがなくなりました。
それまでは、
30歳以上の実力のある弟が継ぐのが、常道でした。
国名「日本」が現れたのは、この頃です。
大君(おおきみ)が「天皇(スメラギ)」になりました。
持統天皇 奈良県
【※】女帝・持統(じとう)天皇は、皇室の祖先神・アマテラスになぞられることが。
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| 持統天皇はアマテラス? |
◇ ◆ ◇
【※】持統天皇の歌 <小倉百人一首
≪ 春すぎて 夏來にけらし 白妙の
衣ほすてふ 天の香具山 ≫
【訳】 春が過ぎて、夏がやってきたようです。
夏には真っ白な衣を干すと言いますが、
天の香具山にも衣がひるがえっています。(すずやかな景色だなあ。)
【持統天皇 関係年表】
645 持統天皇誕生。父は天智天皇(中大兄皇子)。
663 白村江の戦い。日本完敗。【受験】663「ム、無残(663)なり白村江」
668 父が天智天皇として即位。
672 壬申(じんしん)の乱。
天智天皇の弟(天武天皇)が天智天皇の子を下し、天武天皇に。
【受験】672「胸に(672)グサリと壬申の乱」
690 伊勢神宮の遷宮始まる。
712 古事記完成。【受験】712 「名、人に(712)広まる古事記でき」
【※】外国を意識し、国をまとめることに、全集中!
【追】
持統天皇の父は天智(てんじ)天皇です。
夫は天武天皇です。13歳のとき結婚します。
夫・天武天皇の死後は、持統天皇として位につきました。
本格的な都「藤原京」(奈良県)をつくりました。
天智→ 天武→ 持統と世は続きます。
20年に1度の伊勢神宮の遷宮(せんぐう)が、始まります。
【※】持統天皇はなぜ自分を天皇に?
持統天皇は、自分の血を受け継ぐ子を天皇にしたいと思いました。
そのために、他の皇族に皇統を奪われないようにするために、
みずからを天皇にしました。


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