群馬県出身の角田柳作、日米史に足跡。コロンビア大で日本学

センセイと慕われた日本人 群馬県出身の角田柳作、日米史に足跡

角田柳作らの尽力により、日本関係の書籍約33万冊を所蔵する米コロンビア大C・V・スター東亜図書館=2月(共同)
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 一九二〇年代から六〇年代に米ニューヨークのコロンビア大で「日本学」を教え、ドナルド・キーンさん(94)ら一流の研究者を育てた日本人がいた。県出身の角田柳作。「センセイ」と呼ばれ尊敬を集めた角田は、日本ではあまり知られていないが、日米の相互理解を深める上で歴史に大きな足跡を残した。
 県立土屋文明記念文学館(高崎市)は十二月十一日まで、角田の業績を振り返る特別展を開催。十六日にはキーンさんの講演も予定されている。

◆米国に初の研究所

 「コロンビア大学で『センセイ』といったら、角田柳作先生のこと」。キーンさんは六二年、日本の月刊誌に「ニューヨークの一人の日本人」と題する随筆を寄稿して角田を紹介。未知の日本思想を教わることでいかに知的な刺激を受けたかを、角田への温かい敬意を込めてつづった。
 角田は津久田村(現渋川市)出身。福島県や宮城県の中学で教壇に立った後、ハワイで日系人が学ぶ中学の校長を務めた。さらに米本土へ渡り、コロンビア大などで学んだ。
 角田は米国で、日本に関する研究が中国研究と比べ遅れていることを残念に思った。二七年に帰国して資金や書籍を集めるなど奔走し、二八年にコロンビア大に米国初の日本文化研究所を設立、所長兼日本文化講師に任命された。しかし四一年に始まった太平洋戦争では「敵国人」として一時拘束されるなど、日米史の荒波にも翻弄(ほんろう)された。

◆熱心な指導、学生を魅了

 角田が教えた「日本学」は日本の歴史、宗教思想、古典文学などを網羅していた。コロンビア大のジェームズ・モーレイ名誉教授(政治学)も影響を受けた一人だ。
 太平洋戦争中、モーレイさんは首都ワシントンで日本海軍の暗号解読に従事した。「艦船の位置を割り出し、船を沈める手助けをした。気が重かった。二度と戦争はごめんだと思った」。終戦後、日本について学ぼうとコロンビア大に進み、角田に出会った。
 角田は温厚な人柄と講義への丹念な準備、熱心な教え方で学生を魅了した。「圧倒された。センセイは私に最も大きな影響を与えた一人だ」
 九十七歳になる今も、コロンビア大で東洋思想の講義をするセオドア・ドバーリ特任教授も「センセイは非常に穏やかで静かな人だった」と振り返る。ドバーリさんとキーンさんが角田の講義録を編集した上下二巻の「日本思想の源泉」は、米国の多くの大学で日本文学の教科書として使われた。
 コロンビア大は六二年、角田に名誉文学博士号を授与。角田は老後を日本で過ごすため住み慣れたニューヨークを六四年に離れたが、帰国途上のハワイで病に倒れ、帰らぬ人となった。(ニューヨーク・共同=尾崎元)
<角田柳作> 1877(明治10)年1月生まれ。東京専門学校(現早稲田大)文学科卒。1903~09年福島県立福島中学校と宮城県立仙台第一中学校で英語と修身を教える。09年本願寺ハワイ中学校長。17年にニューヨークに移り、28年コロンビア大に「日本文化研究所」を設立。60年勲三等瑞宝章。62年コロンビア大から名誉文学博士号。64年11月、ハワイ・ホノルルで急性肺炎のため87歳で死去。(ニューヨーク・共同)

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  1. Columbia University   (日)
    Columbia Japan Society
    Ryusaku Tsunoda   角田柳作の基層  角田柳作 教え子はドナルド・キーン

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