<戦国時代のページ
織田信長は、中国事情にも通じていました。
禅僧・沢彦宗恩(たくげん そうおん)が、信長の教育係、参謀でした。
幼い頃から信長のそばにいて、天下を志すよう指導していました。
信長は、稲葉山を「岐阜」とつけました。
「岐阜」とは、「左右を見分けることのできる岡」という意味です。
周の王が、周の岐山から興って天下を平定したことによります。
周は殷を滅ぼし前11世紀に建国しました。
信長はまた、中国の「永楽通宝」を織田家の旗印にしていました。
貨幣流通に早くから注目していたためででしょう。
信長の名前にも、特別の思いが込められています。
48をあらわすめでたい数字が込められています。
信長の「信」は、父の「信秀」に由来します。
沢彦宗恩(たくげん そうおん)によると、
「信長」は「桑」の反切(はんせつ)です。
信長(shin chou)は、
語頭音がsで、
語末音がouです。
souは、「桑」となります。
「桑」の元の字は「桒」です。
「桒」は、「十」が4個と「八」からなり、48を意味します。
四十八手、四十八滝は縁起のいい数字です。
「桒寿(そうじゅ)」とは、48歳のお祝いのことです。
「扶桑(ふそう)」は日本国のことです。
信長には沢彦が、家康には天海という参謀がいました。 秀吉にはいませんでした。
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