2021/07/15

渋沢栄一は、「民間が」世を良くするのが夢

渋沢栄一は、「民間が」世を良くするのが夢 

渋沢栄一は、農民の生まれから尊王攘夷の運動家、江戸幕府の幕臣、明治政府の官僚、財界を牽引する実業家、社会事業家と飛躍を遂げました。
    資本主義は、欧米では、株で希望者を募り、利益を株主に還元する株式会社方式が発展しました。
    大航海時代や植民地獲得にもこの方法がみられます。

    しかし後発の日本では、軍が産業を先導しました。 やがて「戦争に勝利し、賠償金を取る」ことが目的となりました。戦前の日本では、戦争を経済行為ととらえていました。日清戦争では巨額の賠償金を得ました。第一次大戦でも巨利を得ました。

渋沢栄一は、日本資本主義の健全な発展には、民間の金融制度を育て、欧米式の企業を盛んにすることが必要だとしました。
「国を繁栄させるのは、軍隊ではない。商工業を隆盛させることだ」。 栄一は米国との民間外交に積極的でした。

    農民あがりで、商人経験豊富な渋沢栄一にとっては、
「政府が、軍部が、上から」の官尊民卑の風習潮流「民間が、下から」に変えるのが生涯の夢でした。


    30歳で請われた大蔵省には3年間で退官しています。

500企業の設立、600の福祉事業に関わったのは、「民間による」世の中の発展のためです。


    1871年 31歳、株式会社設立の手引書『立会略則(たちあいりゃくそく)』を刊行しました。

1872年 政府は第一国立銀行を設立しました。国立ではなく、民間の銀行でした。
頭取になったのが渋沢栄一 32歳でした。
 
これが渋沢栄一の財界人としてのスタートでした。
    銀行を民間で、企業を民間で、がここから始まります。
 
また、この年に60年間死ぬまで続くつづく社会事業 「養育院」への支援も始まりました。
600の社会公共事業へのかかわりの始まりです。
 
社会事業を通じて、富の再配分をし、 社会がうるおい経済が循環するとした「道徳経済合一説」の実践がこの年に始まっています。


    渋沢栄一の哲学の実践がますます必要な時代になってきています。
格差社会で結婚も子育てもむずかしくなっています。「渋沢栄一が、いま新しい」、です。

0 件のコメント: