後白河上皇の院政は、5代の天皇にわたり34年間

 後白河上皇の院政は、5代の天皇にわたり30年余


・1127年10月18日-1192年4月26日。64歳

はじめに、院政について説明します。
白河、後白河、後鳥羽の3院政をとりあげます。

白河天皇と後白河天皇は別人です。
後白河天皇は、「白河」にあこがれて「後白河」にします。


・白河天皇(1053年7月7日-1129年7月24日。76歳。院政 ?年間。)

・後白河天皇(1127年10月18日-1192年4月26日。64歳。院政  34年間)

・後鳥羽天皇(1180年8月6日-1239年3月28日。58歳 。院政 1198年-1221年。24年間)


白河天皇が院政を始めた理由は、 後継者争いを起こさないようにするため 藤原氏の影響力を弱めることです。

白河上皇は、天皇の力を院政で強めていきます。
院政は43年間続きます。

天皇OBは上皇となり、政治を行う「院政」が始まります。 上皇は「治天の君」とよばれます。


上皇は、いわば「やり手の会長」です。
法にとらわれず、勝手に政治をおこなうことができます。
下に「名前だけ天皇」を従えます。

次第に、皇位継承をめぐり政争が絶えなくなります。
院政では、 鶴の一声による「ちゃぶ台返し」が繰り返されるようになります

院政 :白河、後白河、後鳥羽


白河 院政:   
 72 白河    73 堀川    74 鳥羽    75 崇徳    76 近衛    

後白河 院政: 
77 後白河    78 二条    79 六条    80 高倉    81 安徳    82 後鳥羽   

後鳥羽 院政:
82 後鳥羽    83 土御門   84 順徳       



後白河天皇・上皇・法皇

・5代の天皇にわたり30年余の院政を敷きます。
・朝廷から武家へと政権が移りゆく過渡期の人物
平清盛の力を借りて、保元の乱、平治の乱を乗り切る。平清盛を公卿(くぎょう)へ出生させる。のちに平清盛は、後白河を幽閉する。平清盛病死、平家打倒のノロシが。
源頼朝、源義経と対立、協調
・後白河天皇は、白河天皇にあやかりたかったので「後白河」に。
源頼朝が、後白河を「日本国第一の大天狗(おおてんぐ)」とののしります。
・「今様(いまよう 流行歌  カラオケ )」狂いです。庶民の生活を学びます。
・天下三不如意「賀茂河の水、双六の賽、山法師の3つだけはどうにもならない」。山法師=僧兵
・歌謡集『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』を撰する



後鳥羽
天皇・上皇・法皇
文武両道 有能で、『新古今和歌集』を編さんします。
承久(じょうきゅう)の乱( 後鳥羽vs 北条義時
1221 <人に不意打ち〜> )を起こします。
後鳥羽上皇は隠岐、順徳上皇は佐渡、土御門(つちみかど)上皇は土佐に配流(はいる)されます。前代未聞のことです。


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現 朝廷について

明仁(あきひと)上皇は、公務から手を引いています。

退位礼の儀  2019年


秋篠宮(あきしの みや)皇太子も、宮内庁も、言動にさらに慎重になっています。

秋篠宮家 


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