大江 広元(おおえ の ひろもと) |
・1148 -1225年7月16日。
77歳大江 広元(おおえ の ひろもと)は、文章道を家学とする学者の出です。
大江匡房(おおえのまさふや。儒学者、歌人)や、和泉式部(いずみしきぶ)なども大江の出身です。
朝廷に仕えますが、鎌倉に下って源頼朝の側近となります。
公文所(くもんじょ。財政、政務)の初代別当(長官)を務めます。朝廷との交渉で実力を認められます。その他の分野にも実務家として広く関与します。
源頼朝の偉いところは、文官の重要性を理解し、働きやすい環境を用意したことです。
文官を握るものが鎌倉を制す、のが鎌倉です。
文官を握るものが鎌倉を制す、のが鎌倉です。
北条氏も文官層の支持を得たからこそ鎌倉を制します。
鎌倉後の戦国時代には、「政治」を専門とする文官がいません。
鎌倉後の戦国時代には、「政治」を専門とする文官がいません。
大江広元は、承久(じょうきゅう)の乱では、
京都への進撃を強く主張し、幕府方の勝利に貢献します。
京都への進撃を強く主張し、幕府方の勝利に貢献します。
頼朝死後も、名目的には将軍に次ぐ存在です。
源頼朝の先祖5代 源義家に軍略を教えた大江匡房(おおえ の まさふさ)の曾孫です。
毛利元就の祖です。 鎌倉市に大江広元の墓があります。広元の子孫である毛利氏の長州藩によって作られた供養墓です。
大江広元の子孫に毛利時親がいます。
【※】大江親弘 ちかひろ→毛利季光 すえみつ→毛利経光 つねみつ→毛利時親 ときちか
【※】大江親弘 ちかひろ→毛利季光 すえみつ→毛利経光 つねみつ→毛利時親 ときちか
毛利時親(ときちか)は、安芸毛利氏の始祖となって、毛利元就、輝元に繋がります。
大江広元の孫(大江佐房 すけふさ)は、信濃国 上田氏の祖となります。
大江佐房(すけふさ)は幕府中枢で要職に就きます。北条政子の新邸引越しに脇侍し、将軍および北条氏に側近として仕えます。
大江佐房(すけふさ)は幕府中枢で要職に就きます。北条政子の新邸引越しに脇侍し、将軍および北条氏に側近として仕えます。
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