将軍の川越訪問

家康、家光は鷹狩などで、川越近辺をよく訪れています。
家康は7回来川しています。
摘録します。
(【cf.】『歴史年表事典』)

鷹狩とは、飼っている鷹を放って鳥獣をとらえることです。
鍛錬、娯楽の他に、民情をさぐる目的もあありました。
家康は1000回以上もおこなったといわれています。
駿府に移ってからも、武蔵方面で鷹狩をおこないました。
鷹狩

1591年
家康、川越近辺で鷹狩

1601年
家康、忍、川越近辺に鷹を放つ

1605年
家康、川越から忍辺で鷹狩

1607年
家康、川越、浦和辺で鷹狩

1611年
家康、各地で鷹狩をおこない、川越に至る
家康、秀忠、川越に至る

1612年
秀忠、川越で狩、翌日江戸へ
秀忠、川越で狩、翌日江戸へ
家康、喜多院に参詣

1613年
家康、川越へ。
喜多院に500石寄贈、中院に黄金10枚を与える

1614年
家康、喜多院大堂を建立

1615年
家康、戸田より狩をして川越に至る

1616年
家康、駿府城で没す

1617年
静岡の久能山から日光へ移送の家康の遺骸、3月23日喜多院に到着。
天海、導師となり4日間にわたり法要
 <*  順路:川越、忍、館林、佐野、鹿沼、日光>

1618年
家光、川越で鷹狩、天海に面会。
最初の来川、15歳。

1622年
家光、川越城泊、1週間(08/21-08/28)

1623年
家光、川越で鷹狩

1625年
家光、川越で鷹狩

1626年
家光、川越で鷹狩(02/06)
家光、川越で鹿狩(02/08)
家光と共に川越城に宿泊した林羅山、漢詩をつくる

1628年
家光、川越で鷹狩(02/21)
家光、川越で鹿狩(02/24)

1631年
家光、川越で狩(02/18)

1638年
川越大火で、山門をのぞき堂宇をすべて焼失。
家光、すぐに復興を命じ、喜多院大堂再建。
新河岸側舟運を利用し、江戸城の客殿(国重文)、書院(国重文)、庫裏(国重文)を喜多院へ移築再建。
日枝神社 再建
 <*
・「家光誕生の間」、「春日局化粧の間」が残るのはこのため。
喜多院大堂は、1879年寛永寺へ移築。
この他慈恵堂、多宝塔、慈眼堂、鐘楼門、東照宮、日枝神社などの現存の建物を再建
・荷揚場は、川越市寺尾の五反田>

1640年
家光の命で再建中の東照宮完成。
喜多院へ常念仏堂寄進さる。 <*  後に長徳寺へ移築>

1645年
家光の命により、喜多院の慈眼堂(一名、開山堂)(国重文)建立

1665年
第四代将軍家綱、仙波東照宮に200石の朱印状

(改稿:2011年12月)