- 江戸城は火災で丸焼けとなり、遺構は何一つ残っていません。
- 川越の喜多院には家光の誕生した部屋や春日局(かすがのつぼね)の部屋などが残っています。
- 1599年、家康のブレーンであった天海が喜多院の住職となりました。1611年、家康は川越を訪れ天海に面会しています。天海は喜多院を関東天台宗の本山にしました。2代秀忠、3代家光にも仕えました。上野に寛永寺を創建しました。
- 家康の死去にあたって、棺(ひつぎ)は静岡の駿府から、わざわざ喜多院に立ち寄り、日光に埋葬されました。
- 1638年、川越大火により喜多院は全焼しました。家康、天海を崇敬していた家光は、ただちに喜多院を再建しました。そのとき、自分の生まれた部屋や乳母(うば)の春日局の部屋などを移築しました。いまに残る唯一の江戸城の形見となっています。
- 喜多院
- 喜多院 ウィキペディア