野上弥生子/文京区立図書館 |
・1885年5月6日。大分県 臼杵(うすき)市~1985年3月30日没。99歳
野上弥生子が、大作『秀吉と利休』を完成したのは、80歳目前でした。
女性は知性をもって生き抜くべきだ、ということです。
執筆ペースは、1日400字程度です。
これが ま・い・に・ち の日課です。
◇ ◆ ◇
野上弥生子は、文人について感想を求められると、
まことに慎ましやかに、述べます。
(松岡正剛『千夜一夜』)
谷崎潤一郎については、
野上弥生子が、大作『秀吉と利休』を完成したのは、80歳目前でした。
99歳で亡くなるまで毎日書いています。
若い頃、夫を通じて夏目漱石に私淑します。
62年間にわたり日記をつづります。
ラジオで英会話を聞いています。
79歳でフランス語とドイツ語をはじめます。
81歳でスペイン語をはじめます。
京大教授と東大教授の3人の息子は、成城の野上弥生子邸のまわりに住んで、
若い頃、夫を通じて夏目漱石に私淑します。
62年間にわたり日記をつづります。
ラジオで英会話を聞いています。
79歳でフランス語とドイツ語をはじめます。
81歳でスペイン語をはじめます。
京大教授と東大教授の3人の息子は、成城の野上弥生子邸のまわりに住んで、
はべっています。
晩年になるほど著作収入のふえた弥生子は、彼ら一族の面倒をしっかりみます。
「女性である前に、まず人間であれ」と説きます。
晩年になるほど著作収入のふえた弥生子は、彼ら一族の面倒をしっかりみます。
「女性である前に、まず人間であれ」と説きます。
女性は知性をもって生き抜くべきだ、ということです。
執筆ペースは、1日400字程度です。
これが ま・い・に・ち の日課です。
書きだすと、書くまでは思いもつかなかったことが、次々と出てくる。
それでこそ執筆は怠ってはならない。
書かなければ、現れるものも現れない。
前の夜までは、思いもしなかったことが、頭のなかに浮き上がってくる不思議さ。
この楽しみがなければ、書くことは苦痛のみになってしまう。
1日怠れば、その日はただ水の泡と消えてしまう。野上弥生子は、高い目標を掲げて、毎日 ま・い・に・ち、地道に仕事をします。
◇ ◆ ◇
野上弥生子は、文人について感想を求められると、
まことに慎ましやかに、述べます。
(松岡正剛『千夜一夜』)
谷崎潤一郎については、
「こんな御座なりを書くほか書くものがなく、
また書けないのなら、断ってゆっくり遊んでいればよい」。
芥川龍之介については、
また書けないのなら、断ってゆっくり遊んでいればよい」。
芥川龍之介については、
「芥川氏の如き作風では
そうたくさん書けると思うのがはじめから間違いだ」。
武者小路実篤(むしゃのこうじ さねあつ)については、
そうたくさん書けると思うのがはじめから間違いだ」。
武者小路実篤(むしゃのこうじ さねあつ)については、
「これではダメだ」。
2人は同年でした。実篤は晩年認知症に。
志賀直哉については、
2人は同年でした。実篤は晩年認知症に。
志賀直哉については、
「よせばよいものを
書きはじめてしまった」。
菊池寛については、
書きはじめてしまった」。
菊池寛については、
「低級である」。
佐藤春夫については、
佐藤春夫については、
「浅草の春芝居でやるとよい」。
徳田秋声については、
徳田秋声については、
「キザと一人よがり」。
現代は野上弥生子のように、
一目置かれて、寸鉄人を刺す人がいなくなっています。
現代は野上弥生子のように、
一目置かれて、寸鉄人を刺す人がいなくなっています。
【7分】野上弥生子 臼杵市