梅原猛:『万葉集』は怨霊鎮魂のための和歌集

梅原説:

桓武天皇は、早良(さわら、崇道天皇と死後に追称)親王を無実の罪で死に追いやりました。
また、大伴家持を、死後に流罪にしました。
早良親王墓所

これ以降、桓武天皇のまわりには次々と不幸が押し寄せ、
「これは2人のたたりだ」と当時最高の科学者である陰陽師(おんみょうじ)が判断しました。

井沢元彦:桓武天皇はなぜ大仏も平城京も捨てた? 

これを受けて、桓武天皇は、早良(さわら)親王の霊を鎮魂するために、御霊(ごりょう)神社を造りました。
また、大伴家持、早良親王とのために『万葉集』を勅撰の歌集にしました。
《*「勅撰」とは、天皇の命により編さんすることです。》

御霊神社では、五百枝王(いおえの おおきみ)が早良親王の鎮魂にあたりました。
五百枝王(いおえの おおきみ)は、桓武天皇、早良親王の甥で、早良親王とは友人関係にありました。

五百枝王(いおえの おおきみ)の子孫が、御霊神社の宮司として、いまも鎮魂にあたっています。

御霊神社

《*『万葉集』は、日本最古の和歌集です。
759年以降に成立しました。
さまざまな階層のひとびとの歌が4500首以上おさめられています。
大伴家持が最終的に20巻にまとめました。
歌の前での平等の概念が太古からあることがわかります。》

* * *
雄略天皇の歌

巻の1の1には雄略天皇の歌がおさめられています。
雄略天皇が丘の上で春菜を摘む乙女に家を聞き、名前を聞いて求婚の気持ちをあらわしているところです。

♪♪ 
籠(こ)もよ み籠持ち
ふくしもよ みふくし持ち
この丘に 菜摘ます児
家聞かな 名告(の)らさね
そらみつ 大和の国は
おしなべて われこそ居(を)れ
しきなべて われこそ座(ま)せ
我こそは 告(の)らめ
家をも名をも
♪♪

【訳】
すばらしいカゴを持って、
すばらしいスコップを持って、
この丘で野草をお摘みのお嬢さん。
家柄が聞きたい。おっしゃってください。
大和の国は
すべて、わたしが支配しているのですよ。
隅から隅まで私が治めているですよ、 
わたしから言いましょう、
家柄も名前も。
* * *

次は額田王(ぬかだのおおきみ)の不倫の歌です。

額田王(ぬかだのおおきみ)は、天武天皇と天智天皇の寵愛を受けていました。

♪♪
あかねさす紫野行き 標野ゆき
野守は見ずや君が袖振る
♪♪

【訳】
茜色に染まる紫草が生い茂るこの野を、(ここは天智天皇の御料地なのですよ)、
あなた(大海人皇子>のちの天武天皇)はどうして、わたしに袖振ることができるのですか。
野守が見とがめて、天皇に知らせたらどうなるでしょう。
(もう、忍んで逢うこともできなくなるんですよ。
でも、やっぱりわたしは、あなたとお会いしたいのです。

万葉集

<井沢元彦『日本史再検討』