テネメント博物館(Tenement Museum) |
建物の内部 |
ユダヤ系移民の街でした。
帝政ロシアは、ポグロム(pogrom)とよばれるユダヤ人の大虐殺を行っていました。
ロシア農民は、暮らしが悪くなると、官憲の黙認のもとで、「悪いのはユダヤ人だ」とポグロムをおこないました。
日露戦争(1904- 1905)とポグロムは無縁ではありません。
迫害を逃れニューヨークに上陸した東欧系ユダヤ人(アシュケナージ、Ashkenazi)移民が、取りあえず居住する町がローワー・イースト・サイド でした。
衣料製造などの長時間低賃金労働についていました。
窓もトイレもない狭い部屋に大人数で住んでいました。
多くの人が病気になり、死亡していきました。
新生児は4割が死亡したともいわれます。
ユダヤ系移民は、このエリアに150万人が住んでいました。
1920年には、ユダヤ寺院・学校が、このエリアに500もありました。
当時のローワー・イースト・サイド * |
Tenement Museum
※ tenement: 安アパート
大きな地図で見る ローワー・イースト・サイド(Lower East Side) 【地図】
◇ ◆ ◇
歴史を語れば観光になります。
テネメント博物館 では、1時間22ドルでグループ・ツアガイドをおこなっています。
廃墟をそのまま残すことで、観光名所になっています。
※ 日露戦争(1904- 1905)
高橋是清(これきよ)は、日露戦争にあたり、ユダヤ系のヤコブ・シフに公債を引き受けてもらいました。
ヤコブ・シフは、日本に勝たせ、ロシヤの政治に一大変革を起こし、ユダヤ人が圧制から救われることを期待していました。
<※ 昭和天皇は、1966年に皇居を訪れたイスラエル大使に申しました。
「日本民族はユダヤ民族に対して、感謝の念を忘れません。
かつて、わが国はヤコブ・シフ氏に大変にお世話になりました。
この恩を忘れることはありません。」(加瀬英明)>
日露戦争の集結に際しては、新渡戸稲造の『Bushido:The Soul of Japan(武士道:日本人の魂)』に感激したアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトが斡旋役をかって出ました。
新渡戸稲造:『武士道』をあらわした代表的国際人
* thebigredapple.net
0 件のコメント:
コメントを投稿