日本の宗教は、戒律に無関係、人間中心。最澄


日本では、神仏は人間の一種
「宗教とは戒律の山」、「宗教≒戒律」が海外の習いです。

たとえば、タイの仏教には、227条の戒律があります。

最澄は、804年唐にわたり、帰国後天台宗をおこしました。
しかし、戒律がいつの間にかなくなってしまいました。

日本では、宗教も人間中心で、人間の都合が大事なようです。
神さまも仏さまも人間のためにあります。

また、日本は外国のものは、日本的にしてしまいます。

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一神教のキリスト教、イスラム教では、神が世界をつくりました。
神が人間をつくりました。
神は人間を意のままに扱います。
神の命令、戒律は絶対命令です。

日本では、イスラム教を禁止しませんでした。
しかし、戒律だらけの宗教を日本人は受け入れません。

日本は、島国で異民族との大きな戦争がないので、一神教で強く団結する必要がなかったというおだやかな歴史であることも原因でしょう。

【cf.】
小室直樹 日本人のための宗教原論

タイでは227の戒律が。
桑原政則1972。
ワットパクナム パーシーチャルーン寺



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