岩倉使節団 (左から)木戸孝允、(一人おいて)、岩倉具視、 伊藤博文、大久保利通 |
・1825年10月26日。京都 ~1883年7月20日没。57歳。京都
岩倉具視(ともみ)は、大久保利通(としみち)らと、
公武合体(こうぶ がったい。朝廷と幕府の協力)を進めます。
明治政府では、幕府ではなく、「天皇」が政治をとることを明らかにします。
1871年(明治4年)から2年近くも、岩倉使節団の団長として、
米欧を回ります。
大久保利通、木戸孝允(たかよし。桂小五郎)、 伊藤博文ら高官など約100人が参加します。
そのころイギリス、スペイン、ポルトガル、オランダは
岩倉具視は、公家としてただ一人、維新十傑に数えられています
西郷隆盛(薩摩藩)
公武合体(こうぶ がったい。朝廷と幕府の協力)を進めます。
明治政府では、幕府ではなく、「天皇」が政治をとることを明らかにします。
1871年(明治4年)から2年近くも、岩倉使節団の団長として、
米欧を回ります。
大久保利通、木戸孝允(たかよし。桂小五郎)、 伊藤博文ら高官など約100人が参加します。
【※】できたばかりの政府がよくも高官を2年ちかく
も派遣したものです。
よその国では、考えられません。
明治維新を行った当時のリーダーたちの意気込みが
感じられます。岩倉使節団の行程 |
岩倉使節団は、
日本、サンフランシスコから米国を横断。
日本、サンフランシスコから米国を横断。
英国、フランス、ベルギー、オランダ、ドイツ、ロシア、
デンマーク、スエーデン、オーストリア、イタリア、スイス
地中海からインド洋を越えて、 セイロン、シンガポール、香港、上海と 2年近くも旅を続けます。
デンマーク、スエーデン、オーストリア、イタリア、スイス
地中海からインド洋を越えて、 セイロン、シンガポール、香港、上海と 2年近くも旅を続けます。
旅を続けるうち、
一方的に欧米を真似ることが
よいわけではない
ことに気が付きます。
「和魂洋才」の重要さです。
その後の明治政府の政策に生きてきます。
そのころアメリカはいまだに大国扱いされていません。
欧州では、ドイツはまだ1.5流国です。 ドイツに、日本の進む方向を見つけます。
欧州では、ドイツはまだ1.5流国です。 ドイツに、日本の進む方向を見つけます。
そのころイギリス、スペイン、ポルトガル、オランダは
アジアやアフリカを植民地としています。
清は英国からのアヘンで力を失っています。
インドは英国の植民地で、 都合の良い貿易相手にされています。
インドネシアでは支配者オランダ人が反乱を鎮圧しています。
清は英国からのアヘンで力を失っています。
インドは英国の植民地で、 都合の良い貿易相手にされています。
インドネシアでは支配者オランダ人が反乱を鎮圧しています。
日本は、欧米の繁栄が長く続くものではないことを察知します。
日本も近代化を進めれば、
「15年で追いつける」
と確信します。
【岩倉具視 名言】
「我が国小なりといえども、…
国力を培養せば、…万国に対立するの大業甚だ難しきにあら
ざるべし」
(日本は確かに小国かもしれないが、国力を培養すれば、
世界を相手に雄飛することはけして難しいことではない)
「我が国小なりといえども、…
国力を培養せば、…万国に対立するの大業甚だ難しきにあら
ざるべし」
(日本は確かに小国かもしれないが、国力を培養すれば、
世界を相手に雄飛することはけして難しいことではない)
岩倉具視は、公家としてただ一人、維新十傑に数えられています
西郷隆盛(薩摩藩)
大久保利通(薩摩藩)
小松帯刀(薩摩藩)
大村益次郎(長州藩)
木戸孝允(長州藩)
前原一誠(長州藩)
広沢真臣(長州藩)
江藤新平(肥前藩)
横井小楠(肥後藩)
岩倉具視(公家)
広沢真臣(長州藩)
江藤新平(肥前藩)
横井小楠(肥後藩)
岩倉具視(公家)
【岩倉具視の子孫】
森有礼:初代文部大臣
森有正(もりありまさ):哲学者
森有礼:初代文部大臣
森有正(もりありまさ):哲学者
有馬頼義:作家
俳優の加山雄三
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