『川越の文化財』 第121号:平成27年(2015年)11月 (一部修正)
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川越観光案内 第11回 本應寺
松山城(吉見町)で滅亡した主君の夢を、川越で
本應寺として実現
本應寺として実現
NPO武蔵観研 会長 桑 原 政 則
川越市役所方面から、蔵造りの町並みを左に見て、菓子屋横丁をさらに数十メートル進むと高沢橋が見えます。
高沢橋を超えた右手に本應寺があります。
高沢橋を超えた右手に本應寺があります。
風格のある仁王門のある山門が本應寺のランドマーク(目印)です。 長久山・本應寺には、長沢・久右衛門(ながさわ きゅうえもん)一族の物語が秘められています。
本應寺の由来
1547年、松山城(比企郡吉見町)は北条氏に奪われ、城主・上田一族は滅亡します。
武将・長沢久右衛門は、主君より大事な逗子(ずし)を託されました。長沢一族は川越の鴨田、石田、老袋(おいぶくろ)に逃れ、農民として土着しました。
数十年後に、長沢久右衛門は主君よりの秘宝をたずさえ、本應寺を石原の地に創建しました。
山号の長久山は、長沢久右衛門から取ったものです。
仁王門は川越では2カ所のみ
山門の仁王門には、金剛力士の像が左右に控えています。
仏敵が入るのを防ぐためです。
仁王門があるのは、川越では3キロ先の常楽寺とここ本應寺のみです。
一切経蔵の輪蔵(りんぞう)には経典が
仁王門の脇には、一切経蔵(いっさいきょうぞう)があります。
蔵の中には、喜多院・天海僧正版の一切経が収められています。
八角形の回転する輪蔵に、釈迦が説いた経典のすべてが保管されています。
久遠塔(くおんとう)は永代供養塔のこと
久遠塔は、宗派に関係なく、寺が永代にお守り供養する 合同のお墓です。
誰もが拝めるように本堂前の目立つところに端座しています。
2月15日は、お釈迦様がなくなった涅槃会(ねはんえ)です。
翌日2月16日は日蓮上人が誕生した日にあたります。
高山繁文は芭蕉の門人
高山繁文は、川越城主・秋元喬朝(たかとも)の国家老で、殖産興業で功績を残しました。
松尾芭蕉の門人でもありました。
北野操六は江戸湾防備に活躍
北野操六は鍛冶町の頭取名主をつとめ、黒船来航の際には江戸湾防備の御用役の大役を果たしました。
苗字帯刀を許されました。
狂歌にも関心を示しました。
水村精(きよし)は銀行の頭取に
水村精は御用商人で、川越銀行の頭取もつとめました。
渡辺政方は松井松平家の太鼓を寄進
渡辺政方は、松井松平家の太鼓を本應寺に寄進しました。
川越の標準時はこの太鼓より生まれました。
石原区長を28年間にわたりつとめました。
高沢橋は隠れた観光スポット
見立寺(けんりゅうじ)、大蓮寺、本應寺、観音寺の4寺は、高沢橋を守り、川越城を守る自然の要害の要害の役を果たしていました。
高沢橋から川越城までは、わずか450メートルです。
災害時には、高沢橋方面は格好の避難場所となります。
高沢橋は隠れた観光スポットです。
(【参考】川越城から高沢橋までコース:川越城、川越城 中の門 堀跡、川越市役所、蔵造りの町並み、菓子屋横丁、4寺院、新河岸川、高沢橋、石原町)
ささら獅子舞
3頭の獅子が頭を大きく振りながら、天女の回りを筒やささらの音に合わせてまわり、悪疫退散を祈る行事です。
石原町のささら獅子舞は県指定文化財です。
福井県小浜市にも取り入れられています。
この縁で小浜市とは友好都市の関係にあります。
本應寺の概要
山号 長久山(ちょうきゅうざん)。長沢久右衛門より。
寺号 本應寺(ほんのうじ)
宗派 日蓮宗 【※】日蓮宗は川越市で5社。
創建 1615年(元和元年、がんな がんねん)。
本尊 久遠の釈迦
住所 川越市石原1-4-9 バス:川越駅東口 6番乗り場より石原町。
別院 広谷山・本應寺別院 〒350-0804 川越市下広谷331-13
【後記】
本應寺は、元気に励んでいます。 15世は大本山・身延山(みのぶさん)久遠寺の法主(ほっす)に栄達しました。 星・光喩(ほし こうゆう)現住職は、寺史編纂を企画出版しました。 川越市シルバー人材センターが中心となり、檀家、郷土史家、宗門専門家などの協力でなった135ページの本應寺の寺史です。 また、住職は、別院を下広谷に開き、新しい布教の拠点を追加しました。 久遠塔を新たに建立しました。 塔頭をまとめた円真教会を組織しました。 ケイタイ説法を8年間続けています。 地湧(じゆう)塾を開き、「モーコリタ」(忘己利他)といった冊子を発行しています。 チベットを訪問しました。 講演会を開いています。 また日蓮宗の宗会議員20年。 日蓮宗の常任布教師でもあります。
本應寺は、元気に励んでいます。 15世は大本山・身延山(みのぶさん)久遠寺の法主(ほっす)に栄達しました。 星・光喩(ほし こうゆう)現住職は、寺史編纂を企画出版しました。 川越市シルバー人材センターが中心となり、檀家、郷土史家、宗門専門家などの協力でなった135ページの本應寺の寺史です。 また、住職は、別院を下広谷に開き、新しい布教の拠点を追加しました。 久遠塔を新たに建立しました。 塔頭をまとめた円真教会を組織しました。 ケイタイ説法を8年間続けています。 地湧(じゆう)塾を開き、「モーコリタ」(忘己利他)といった冊子を発行しています。 チベットを訪問しました。 講演会を開いています。 また日蓮宗の宗会議員20年。 日蓮宗の常任布教師でもあります。
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