忽滑谷 快天(ぬかりや かいてん)。 駒沢大学初代学長、禅宗を内外に広める。Nukariya Kaiten <川越の先人

忽滑谷 快天(ぬかりや かいてん)。 駒沢大学初代学長、禅宗を内外に広める。<川越の先人

・1867年12月26日。東村山市~
1934年7月11日没。68歳

忽滑谷 快天 画像


忽滑谷 快天(ぬかりや かいてん)は、10歳の時川越・豊田本(とよだほん)の善長寺【地図。水上公園ちかく】で出家しました。
18歳から3年間曹洞宗大学林(学問所)で学びました。
その間、養寿院を経て、古谷上(ふるやうえ)の善仲寺で僧生活を続けました。

その後、旧制一高を経て、慶応大学に入学し、27歳で1893年卒業しました。
1894年、曹洞宗高等中学林の教授に就任します。。
翌1895年28歳で、南古谷の蓮光寺 【地図。新河岸川沿い】の住職になりました。


忽滑谷快天は英語に堪能で、1897年30歳で
”Principles of practice and Enlightenment of the Soto Sect”(『曹洞宗の実践と啓蒙の原理』)を出版しました。
新渡戸稲造の”Bushido”より2年速い出版でした。


1911年より3年間欧米を歴訪します。
1913  ”Zen Buddhism: The Religion of the Samurai”(『禅宗』) を刊行し、
禅宗を英語で欧米に紹介しました。


1925年 大著『禅学思想史』を出版し、 東大文学博士となります。
1925年 駒沢大学初代学長に就任しました。1934年までつとめます。

イスラム研究や陽明学研究にも没頭しました。

弟子は、中国、台湾、韓国などにおよび、
胡適や鈴木大拙も師に学び「忽滑谷 仏教学派」を形成しました。

墓は連光寺にあります。

【※】忽滑谷(ぬかりや )の名字
武蔵の有名氏族です。太平記の怒借屋と記されています。
埼玉県に多く、400件超を数えます。

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