川越藩の初代藩主は、酒井重忠。なぜ印象が薄い?

川越藩の初代藩主は、酒井重忠。なぜ印象が薄い?

川越の殿様は、地元民には印象が薄いです。


それは、川越藩主は、江戸定府(じょうふ。江戸に常住)が多く、

藩政に力を入れる余裕がなかったからです。 

また転封も頻繁で、川越藩には8家21藩主が登場します。


しかし他藩では、たとえば三重の津藩では、ほぼ藤堂家のみです。



川越藩の初代藩主は、酒井重忠です。

重忠は、愛知県三河に生まれました。
若い頃から父と同様に徳川家康に仕え、
姉川や長久手の合戦にも参加しました。

1582年、本能寺の変で織田信長が死去した時、
伊賀越をおこなった家康一行を伊勢で船で出迎え、安全を確保しました。

また、豊臣秀吉が北条氏の小田原を攻めた時には、
徳川家康軍の先鋒として活躍しました。


川越城は、前田利家や上杉景勝らに攻められかけましたが
城将・大道寺直繁(政繁の長男)がいち早く降伏したので、戦場にはなりませんでした。

1590年に徳川家康は、豊臣秀吉により、関東に移封されました。
酒井重忠は要衝・川越に1万石の所領を与えられ
大名となりました。
1万石以上が大名と名乗ることができました。

この1590年に川越藩は誕生します。



酒井重忠は、1600年の関ヶ原の戦いにも参加し、
戦功により、川越藩の分領・厩橋(まやばし。のち前橋)に
3万余石の所領を与えられ、厩橋藩初代藩主にもなりました。


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