奥貫友山。大水害で農民を救う。川越・南古谷の慈善家 <川越の先人
・1708年~
1787年12月19日没。
奥貫友山(おくぬき ゆうざん)は、川越・南古谷の久下戸(くげど)に生まれました。久下戸(くげど)はJR南古谷駅の南方にあります。【地図】 奥貫家は久下戸村の名主を代々つとめました。友山は奥貫家の5代目を継ぎました。
1742年に関東に江戸時代最大の大水害がおそいました。堤防の決壊も百カ所近くにおよびました。低地の久下戸村では、床上浸水となり、死者も出ました。奥貫友山は、率先して救助にあたりました。自己私財を農民に与え、1万6000人の命を救いました。その後も自らの田畑を質入れし、食糧を買い続け窮民を救援し続けました。最終的には10万人以上が救われました。
奥貫友山は、若くして学問を好み、儒学や和歌を学びました。漢学塾・寺子屋を開き、子弟教育にも熱心でした。
奥貫友山は、戦前の教科書にも取り上げられました。
紙芝居 南古谷地区の偉人、奥貫友山(おくぬき ゆうざん) 天野由貴(南古谷中)
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