奈良、平安時代は、まだ一種の奴隷制の時代で、
国家は、公家、寺院のため
にありました。
庶民には、転職、移住の自由はなく、働く機械でした。
仏教は、
国家仏教で、
僧侶は官僧(=国家公務員)
でした。
僧侶の仕事は、庶民とは関係なく、国家の安泰を祈ることでした。
仏教は、
「鎮護(ちんご)国家」
「朝家(ちょうか。皇室)安泰」
のためのものでした。
お経もお寺も極楽も、庶民とは無関係でした。
平安時代までは庶民の生活は、見えません。
武士や庶民を描いた小説はありません。
世界最古の長編物語『源氏物語』は、宮廷の物語で、庶民が何をしているかはうかがえません。
平らな場所をクワで開墾 |
平安の中期頃に鉄器がもたらされ、農具の生産が高まりました。
かつては、山間や谷間のような水の流れる傾斜地でのみ行われていた水田工作が、
関東の平地、平らな場所でも、クワで開墾すれば、可能になりました。
日本一広い関東平野を開墾し、
開拓農民から開墾地主になるものがあらわれました。
武士の誕生です。
しかし、奴隷制の律令体制下では、耕しても自分の土地にはなりません。
しかたなく、自分の土地を中央の貴族、寺社に寄付し、管理権だけをもらっていました。
京で口利き役になってくれたのが、
源(みなもと)と
平(たいら)でした。
源氏も平氏も、もとは天皇の血筋でした。
敵同士の源氏と平氏は、戦いました。
平清盛が源義朝を破り、
平氏は一大勢力となります。
勝った平氏は、
しかし、のちに公家の仲間入りをしてしまいます。
伊豆で20年間の流人生活を送っていた源義朝の子・頼朝は、
大量の武士団を味方にし、土地を私有制にする
土地革命
をめざしました。
つまり、不合理な京都の公家支配の中央集権的な律令国家から独立し、
土地は耕した者(農民≒武士)が所有する土地革命です。
それが、
「鎌倉秩序」
です。
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