第17回 武田信玄・上杉謙信~戦国の争乱~ NHK
■ 応仁の乱がきっかけとなった戦国時代
武田信玄と上杉謙信は、戦国時代に活躍した戦国大名です。
戦国時代は、室町幕府の将軍・足利義政のあとつぎをめぐって全国の大名が争った「応仁の乱」に始まります。
京の都は焼きつくされ、将軍は力を失います。
一方、地方では、領国を独自に支配する「戦国大名」が登場。
たがいに勢力争いをくりひろげます。
そのなかに、甲斐の武田氏、越後の上杉氏がいました。
■ “甲斐の虎”武田信玄
応仁の乱からおよそ50年後、武田信玄が生まれます。
21歳で武田家の当主になると、家臣の能力を正当に評価することで国内をまとめ、戦国最強といわれる軍隊を育てました。
甲斐や信濃一帯を次々と攻略していく信玄。
その圧倒的な強さから、“甲斐の虎(とら)”とよばれました。
■ “越後の龍”上杉謙信
そんな信玄のライバルが、越後の上杉謙信です。
幼いころから寺で修行し、19歳で当主になります。
電光石火の戦術で野戦に勝ち、生涯ほぼ負け知らず。
織田信長も、謙信の奇襲攻撃に敗れています。
その神がかった強さから、謙信は、“越後の龍”とたたえられました。
■ 信玄と謙信は戦国大名の象徴的存在だった
信玄と謙信がはげしくぶつかった戦があります。
今の北信濃の支配をめぐって起こった「川中島の戦い」です。
5回にわたる戦で特に熾烈をきわめたのが第4回。
信玄は背後から謙信の軍を追い立ててはさみうちにしようと考えます。
しかしそれを見ぬいた謙信。
霧にまぎれて信玄の軍にしのびより、奇襲攻撃をかけます。
大乱戦になったそのとき、一人の武将が信玄の前に飛びこみます。
謙信でした。
ふりおろしたその刀を、信玄は軍配で受け止めます。
この勝負、引き分けに終わりました。
この一騎打ちは伝説ともいわれています。
■ 名将であり名君でもあった
戦いの名人だった信玄と謙信。
領国を治めるうでも確かでした。
信玄の有名な政策の一つが、今ものこる「信玄堤(づつみ)」です。
川に堤防をつくって洪水を防ぎ、年貢の収入を安定させたのです。
金山の開発にも力をいれ、多くの金を手に入れました。
一方、謙信は、「青苧(あおそ)」という植物の栽培を奨励しました。
青苧の糸で織った布製品を全国に売って富を得たのです。
■ 戦国大名は産業を育て領国を強くした
このように戦国大名たちは、戦だけでなく、領国の経営に力を入れました。
城を築き、家臣や商人たちをよび寄せて城下町をつくったほか、「分国法」という領国独自の決まりを定め、武士や領民をとりしまりました。
産業を育て、城下町をつくるなどして国を強くした戦国大名の時代は、およそ140年続きました。
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