第18回 ザビエル~キリスト教の伝来~
■ 日本人アンジローとの出会い
フランシスコ・ザビエルは、およそ500年前、日本に初めてキリスト教を伝えました。
スペインの貴族の家に生まれたザビエルは、キリスト教を世界中に広める宣教師となります。
船でアジアに向かったザビエルは、インドを拠点に布教を始めます。
ザビエルがマレーシアで布教していたときに、キリスト教についてたずねる日本人に出会いました。
名前は、アンジロー。
この青年に興味を持ったザビエルは、日本での布教を決意します。
そして1549年、アンジローのふるさと、鹿児島に上陸しました。
■ 京都へ
さっそく布教を始めたザビエルのまわりには、初めて見る外国人に興味を持った人々が集まりました。
ザビエルはなれない日本語を使い、必死にキリスト教を説きました。
その結果、100人をこえる信者を集めることができたといわれています。
次にザビエルは京都に向かいます。
天皇に布教の許可をもらい、日本全国にキリスト教を広めようと考えたからです。
ところが、京都に着いたザビエルはおどろきます。
京都の町は戦乱で荒れ果てていました。
そのころ日本は戦国時代。
各地の大名がたがいに争い、天皇をこえる力を持ち始めていました。
■ 戦国大名に布教の許可をもらう
そこでザビエルは、各地を治める戦国大名に布教の許可をもらうことを考えます。
まず向かったのが、山口です。
ここには西国一の戦国大名、大内義隆(おおうち・よしたか)がいました。
ザビエルは、時計やオルゴール、望遠鏡などをおくり、布教の許可を求めます。
ヨーロッパの品々に大きな興味を持った大内氏は、布教を許しました。
山口でザビエルは、わずかな期間に500人の信者を得ました。
九州の大名、大友宗麟(そうりん)も、キリスト教に大きな関心を持ち、ザビエルの布教を強くあとおししました。
■ 日本に初めてキリスト教を伝えた
しかし、ザビエルはまだ不満を感じていました。
一部の大名が布教を認めても、日本中にキリスト教が広まったわけではないからです。
そこで、ザビエルは中国に行くことを決断します。
中国がキリスト教を認めれば、仏教が日本に伝わったように、キリスト教が広まると考えたからです。
ザビエルは、2年3か月の日本での布教を終え、中国に向かいました。
■ 南蛮船で伝えられた“西洋”
ザビエルが日本をはなれたあとも、多くの宣教師が来日し、キリスト教を広めました。
さらに、南蛮船で、さまざまなヨーロッパの品物が持ちこまれました。
カステラやパン、金平糖(こんぺいとう)などの食品や、コップやボタンといった生活用品、そしてカルタ遊びも、この時代に日本に伝えられました。
■ ヨーロッパの進んだ文化も入ってきた
こうしたヨーロッパの文化に興味を示したのが、天下統一をめざしていた織田信長です。
信長はキリスト教を保護しました。
そして、京都にキリスト教の教会を作ることを許可したのです。
その教えに心を動かされ、キリスト教に改宗する大名も増えます。
かれらは、「キリシタン大名」とよばれました。
ザビエルのまいたキリスト教の種は、日本と西洋が結びつく大きなきっかけとなったのです。
キリスト教が広まるとともに、ヨーロッパの進んだ文化が入ってきました。
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