ASEAN50年 変わる座標軸(上)薄まる米の存在感 崩れる均衡 中国色強く
2017/8/7付 NKを抜粋編集
東南アジア諸国連合(ASEAN)が8日、設立50年を迎える。東西冷戦下に誕生した小国連合は6億人を抱える巨大経済圏に育ち、存在感を増してきた。ただ足元ではトランプ米政権の政策見直しに伴い、多くの国が中国色に染まる。大国の力学の変化はASEANの座標軸を変え、日本にも影を投げかける。
東西冷戦の産物
7月、ラオスの古都ルアンプラバン郊外。建設資材を積んだトラックが走り抜けていった。ここは中国企業が主導する雲南省昆明からシンガポールを南北に貫く高速鉄道の最初の建設地だ。「一帯一路」。建設現場には漢字で、習近平指導部が進める広域経済圏構想の名称が書かれる。中国の「磁力」は着々と東南ア各国をのみ込んでいる。
ベトナム南部ビントゥアン省。大型石炭火力発電所「ビンタン1号」の建設が中国企業の手で進む。ベトナムの国内電力の3分の1を賄う石炭火力発電所のうち、建設計画の約9割を中国企業が受注。エネルギー政策の根幹を中国に握られる。
対中姿勢も弱腰にならざるを得ない。「中国がベトナム軍のいる南沙諸島を攻撃すると脅した」。英BBCによると、南シナ海での石油掘削をいったん許可したスペイン企業に対し、7月、ベトナム当局はこう説明して掘削中止を命じた。
ASEANは東西冷戦の産物だ。当時、東南アジアはベトナム戦争の舞台となり「新たなバルカン半島になる恐れがあった」(インドネシア外相のルトノ)。米国の敗色が濃厚になるなか、共産主義拡散の懸念も台頭。5カ国がASEAN設立で一致したのは「米国の退場による権力の空白に対して連帯による力を得ることだった」とシンガポール元首相の故リー・クアンユーは回想した。
【※】アセアン5:インドネシア、タイ、フィリピン、ベトナム、マレーシア
輸出割合が逆転
だが今、大国の力の均衡は再び崩れつつある。ジャカルタにある駐ASEAN米国大使オフィス。大使のポストは今年1月から空席のままだ。トランプ米政権は中国との「取引」を重視。対中強硬一辺倒はなくなり、南シナ海は軍事拠点化を進める中国の裏庭と化す。
貿易面の米中の立ち位置も変わった。国際通貨基金(IMF)によると、2000年時点で米国はASEANの輸出額の19%を占め、中国の同4%を引き離していた。だがリーマン・ショック後、米国向け輸出が減り両国の割合は逆転した。
米国の影響力低下は米国の顔色をうかがっていた国々を「民主主義のくびき」から解き放った。米主導で民政化を果たしたミャンマーの指導者、アウン・サン・スー・チーは国軍によるロヒンギャ族の虐殺疑惑に口をつぐむ。麻薬犯殺害をいとわないフィリピン大統領のドゥテルテは、人権侵害との批判を「内政に干渉するな」と一蹴する。
ASEANは民族や宗教、政治体制などが異なる「モザイク集団」だ。結束が緩めば、大国にたやすくのみ込まれる。その危険性を知っているからこそ過去のリーダーたちは、粘り強い交渉による全会一致で経済や政治の方向性を決めてきた。
15年末に悲願だったASEAN経済共同体(AEC)発足にこぎ着けたが、理想とするヒト・モノ・カネの域内自由化にはまだ遠い。結束を磨くことでAECの潜在力も開花する。
【※】AEC: ASEAN Economic Community
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