Jawaharlal Nehru /wp |
ジャワハルラール・ネルーは、イギリスに学びました。
ガンディーの感化を受けて、インド国民会議派を組織して独立運動を指導しました。
イギリスに危険視され9回9年間投獄されました
1947年,インドの独立とともに初代首相に就任、17年間首相をつづけました。
インド独自の社会主義をめざしました。
国際舞台でも活躍し、1955年のアジア=アフリカ会議(バンドン会議)では、第3世界の結集を呼びかけました。
『自叙伝』『インドの発見』があります。
1949年 「インディラ」がネルー首相から贈られる。
「インディラ」はネルー首相の娘の名前です。
India's first prime minister nehru speech at republic day 【1+】
< 名言 >
「ある国の平和も、他国がまた平和でなければ保証されない。
この狭い相互に結合した世界では、戦争も自由も平和も全て連帯している」
< ネルーの日本の戦争への賛美 >
・「インドはまもなく独立する。この独立の機会を与えてくれたのは日本である。インドの独立は日本のおかげで、30年も早まった」
・「日本は謝罪を必要とすることなど我々にはしていない。
それ故、インドはサンフランシスコ講和会議には参加しない。講和条約にも調印しない」
・日本の戦勝に熱狂 <自伝
「日本の戦勝は私を熱狂させ、毎日、新聞が来るのを待ち焦がれた。
インドを、アジアを、ヨーロッパの隷属から救い出そうと思い、私自身が剣を取ってインドのために戦う英雄的行為を夢見た」
ジャワハルラール・ネルーは自伝で、世界最大の陸軍国ロシアに非西洋国の日本が勝利した日露戦争の戦況への興奮を、このように記しました。
【※】インドの人々は、日本の戦争に同情的・好意的な人が多いです。パール判事など。
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