・1451年- 1506年5月20日没。
コロンブスは、探検家、航海者、コンキスタドール、奴隷商人でした。
【※】コンキスタドールConquistador(コンキスタドール)とは、スペインのアメリカ大陸征服者、侵略者のことです。
コロンブスは、地球は球体であると考え、
大西洋を西へ航海すればジパング(日本)に達する、と考えました。
マルコポーロの書物から、ジパングに興味をもちました。
このころはルネサンスの時代でした(後注)。
ルネサンスは、15世紀の大航海時代、16世紀の宗教改革が柱です。
造船技術が進歩し、遠洋航海が可能になりました。
ヨーロッパでは富がなくなり、よそからから富を奪う必要がありました
ヨーロッパはアジアへの海路に注目しました。
ヨーロッパはアジアへの海路に注目しました。
植民地拡大の道具に使われたのが、
キリスト教のイエズス会の宣教師達です。
日本に来たザビエルもイエズス会の宣教師です。
キリスト教徒を根付かせていたら、日本もインカ帝国と同じように同じような目に遭っていたかもしれません。
日本の危機を救ったのが徳川家康、秀忠、家光政権でした。
1492年、スペインでは国土回復運動(レコンキスタ。Reconquista。
英語ではre+conquest )が始まっていました。
【※】西欧史は、ギリシャ・ローマ→ イスラム→ 西欧、と続く
コロンブスは、イタリアのジェノバ生まれです。
ポルトガルで働いたこともあります。
35歳のときにスペインのイザベラ女王の援助で、
3隻の船に120人の乗組員をのせて、西にでかけました。
スペインは、いわば大会社で、
下請けのイタリア人に仕事を発注していたようなものです
【※】コロンブスの航海に使われた世界地図『マルテルス図』
アメリカ大陸と太平洋はまだ知られていません。
70日後に
「やっとジパングについた。この島が、ジパングの大地だ!」と叫び、サン・サルバドル(聖 救世主)と名づけました。
しかし、実はバハマ諸島のなかの島でした。
【※】バハマ諸島 地図 マイアミの南、キューバの北。
コロンブスは、発見したところをインドの一部と
信じたために、ここを西インド諸島、
住民をIndian(インド人)とよぶようになりました。
2回めと3回めの航海では、島の住民を虐待したということで、コロンブスは本国によびもどされました。
スペイン人は、10年たらずのうちに、数十万の人びとを
滅ぼしました。奴隷としてスペインに送りました。
計4回の航海をしましたが、最後までアメリカ大陸をインドだ
と思っていました。
1498年には、ポルトガルの航海士バスコ・ダ・ガマが、
アフリカの南端をまわって、
東廻りでとうとうインドにたどりつきました。
コロンブスはおおいにあせりました。
1502年の航海のときには、51歳で、体も衰弱し目も見えなく
なってきました。
コロンブスは黄金の島ジパングを見つけることができませんでした。
するものさえいませんでした。
【後注】
【※】ルネサンス Renaissance 再生
封建社会と神中心の世界観の束縛から脱し、
人間性の自由・解放を求める運動。
ゲルマン民族という蛮族の侵入によってもたらされた封建社会を脱し、
ギリシャ、ローマの古典文化を再生することです。
【名言】
「誰にでもできることでも、最初にやろうとするには閃きと勇気が必要だ」
Even anything you can do requires flash and courage to try first.
これは、「コロンブスの卵」で卵を立たせて見せたときに言ったとされる言葉です。
・・・・・・・・・・・
Biography of Christopher Columbus for Children: Famous Explorers for Kids
0 件のコメント:
コメントを投稿