源義家。八幡太郎 義家。前九年合戦、後三年合戦を鎮定。8月4日没
源義家。八幡太郎 義家 |
・1039-1106年8月4日。68歳。
源義家は、世間名は八幡太郎 義家です。
京都の石清水八幡宮(いわしみず はちまんぐう)で元服します。
源頼朝の先祖にあたります。
前九年合戦の陸奥と出羽 |
父に従って前九年合戦(ぜんくねん かっせん。 1051~1062。平安後期)に出陣し、武勇の名を天下に広めます。
出羽守(でわのかみ)に任ぜられます。
下野、相模、武蔵、信濃などの国司も歴任します。
後三年合戦(ごさんねん かっせん。1083~1085)は、
出羽国の清原氏の内紛です。
これを源義家は鎮定します。
しかし、朝廷は、清原氏追討の恩賞も与えません。
源義家は私財をもって将兵の功に報います。
源義家の武勇により、東国における源氏は強くなります。
(【※】後年の源頼朝の活躍のもとになります。
源氏は東、平氏は西)
武士や百姓のなかには源義家に荘園を寄進する者も多く出、
源義家は「天下第一武勇之士」の評判をとります。
【※】源義家は、北面(ほくめん)の武士のはじめ
白河天皇は、源義家に、武士として初めて、院への昇殿を許します。
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