源頼家。2代 鎌倉将軍。なすことなく、暗殺。8月14日没
源 頼家 |
・1182年9月11日-1204年8月14日。23歳没
源頼家は、2代 鎌倉将軍です。
源頼朝の長男で、母は北条政子です。
父 頼朝のあとを18歳で引きつぎます。
しかし、十三人の合議制がしかれ、武断派の源 頼家は幕政に参画できません。
源 頼家は、比企能員(ひき よしかず)の娘との間に一幡(いちまん)を生みます。
【※】一幡は、源頼朝の初孫で、源氏の安泰が保証されます。
しかし、源頼朝は脳梗塞で不帰の人となり、一幡も消されます。
ところで、北条政子の父 初代執権の北条時政は、
頼家を廃して、
源 頼家の弟 実朝を将軍に据えようとします。
源 頼家は比企派、源実朝は北条派です。
源頼家は、妻の父 比企能員と組んで、
北条氏討伐をくわだてます。
失敗し、伊豆の修禅寺(しゅぜんじ)にとじこめられ,23歳で消されます。
【※】源頼家の素性
源頼家は、父の頼朝が自慢するほど優秀な嫡男です。
しかし、すぐれた実態も歴史から消されてしまいます。
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