2011/01/02

勝海舟:江戸城を無血開城

ファイル:Katsu Kaishū2.jpg
1860年サンフランシスコにて 
 http://goo.gl/1LL7N
ー勝海舟(1823年-1899年、76歳) ー

勝海舟は、江戸で佐久間象山に学びました。

1860年、勝海舟は咸臨丸(かんりんまる)の船長としてでサンフランシスコに上陸しました。
福沢諭吉なども同行しました。

『氷川清話(ひかわせいわ)』には、アメリカ観察記が記されています。

老中からしつこく、何か日本と変わったことは何か、と尋ねられました。(概約)
「亜米利加では、政府でも民間でもおよそ人の上に立つものは、みなその地位相応に怜悧(れいり)でございます。
この点ばかりは、まったくわが国と反対のように思いまする。」
老中は、「この無礼者、控えおろう」と勝海舟を叱リました。

上に立つ人は怜悧であらねばならない、また責任も重い、という宿題を、日本は背負ったままのようです。

海外新知識の持ち主・勝海舟のもとには様々な人材が集まリました。
坂本龍馬、吉村寅太郎、桂小五郎(木戸孝允)などです。

勝海舟は、1868年戊辰戦争の時、討幕軍の西郷隆盛と交渉して江戸城を無血開城しました。

勝海舟の臨終には妹(佐久間象山の妻)も付き添いました。

「コレデオシマイ」

と、人を食ったような言葉が最後だったと言われています。

勝海舟が他界した時の海軍大臣は山本権兵衛でした。
山本権兵衛は若い時に、勝家に世話になりました。
海軍省に銅像を建てようと思いましたが、取りやめました。
勝海舟が言っていた言葉を思い出したからです。
「銅像なんか、時勢が変われば、いつ大砲に鋳られてしまうかわかったもんじゃない」


勝海舟語録 

・世間は活きている。理窟は死んでいる。

・事を遂げる者は愚直でなければならぬ。
才走ってはうまくいかない。

・内でけんかをしているからわからないのだ。
一つ、外から見て御覧ネ。直にわかってしまふよ。

・生業に貴賤はないけど、生き方に貴賤があるねえ。

・拡張するにも、みんな根柢がなければダメだよ。

・上がった相場は、いつか下がる時があるし、
下がった相場も、いつか上がる時があるものさ。
その間十年、焦らず屈んでおれば、道は必ず開ける。


◇                    ◆                    ◇

【川越の勝海舟】
勝海舟の筆による「氷川神社」の扁額

川越氷川神社の鳥居には、勝海舟の筆による「氷川神社」の扁額(へんがく)が飾られています。

川越氷川神社の15メートルの大鳥居は、日本最大といわれています。
時の鐘も15メートルです。
太田道灌の築いた富士見櫓(やぐら)も15メートルほどでした。
奈良の大仏も15メートルです。


幕末のダ・ビンチ・佐久間象山