久高島→ 知念村→ 玉城村 |
琉球開闢(かいびゃく)の神は、
アマミキヨです。
奄美大島の人々も自分たちを アマミキヨの子孫だと称しています。
奄美大島の人々も自分たちを アマミキヨの子孫だと称しています。
アマミとは海部(アマベ)の変化形です。
キョは人のことです。
海人(海の人)をウミンチュといいますが、チュとキヨは「人」のことです。
アマミキヨは、「海部(アマベ)の人」のことです。
大分県には、北海部(きたあまべ)郡、南海部(みなみあまべ)郡がありました。
「大分市北海部郡」
「大分市北海部郡」
『おもろ』(沖縄の万葉集)によると、久高島(くだかじま)、知念村(ちねんそん)の順に国王が行幸したとあります。
<※ 沖縄では、市町村の村はソンとよびます。>
アマミキヨの人々は、奄美大島を経て、久高島、南城市知念村(なんじょうし ちねんそん)に上陸しました。
<※ 沖縄では、市町村の村はソンとよびます。>
アマミキヨの人々は、奄美大島を経て、久高島、南城市知念村(なんじょうし ちねんそん)に上陸しました。
つまり、沖縄人は、奄美大島→ 久高島→ 南城市(なんじょうし)知念村を経て、その後、南城市玉城村(たまぐすくそん)にグスクを築いてそのなかに居を構えました。
グスクとは、「御(グ)スク」のことです。
スクは沖縄以外では、「シキ(敷)」です。
シは「住む」、キは「囲い」の中のことで、「シキ(敷)」とは「城壁のある高いところ」のことです。
シは「住む」、キは「囲い」の中のことで、「シキ(敷)」とは「城壁のある高いところ」のことです。
<※ 敷島といえば、奈良県の天皇の宮のあったところで、今では日本の別称です。>
知念村(ちねんそん)の近くに南城市佐敷庁(さしきちょう)があります。
【cf.】
伊波普猷『古琉球』岩波書店
伊波普猷『古琉球』岩波書店
比嘉康雄『日本人の魂の原郷 沖縄久高島』 集英社新書、2000
岡本太郎『沖縄文化論―忘れられた日本』中公文庫、1996
*久高島は、12年に一度の大祭「イザイホー」で有名です。
久高島【画像集】
久高島【画像集】