八重の桜>西郷頼母(たのも):会津藩最後の家老

西郷頼母
・1830年5月16日- 1903年4月28日没

西郷頼母(1830-1903)は、33歳で会津藩家老になりました。

藩主・松平容保(かたもり)が京都守護職(しゅごしき、警察の役目)を受ける際に、会津藩滅亡を阻止するために、最後まで反対しました。

戊辰戦争で西軍が会津城下に攻め入った日、妻子ら一族21人は西郷邸で壮烈な自刃を遂げました。

その後、西郷頼母は、会津から脱出し、
榎本武揚や土方歳三らと合流し、函館で再度官軍を迎え撃ちます。

西郷家は、藩祖・保科正之家の分家で、代々家老職を務めました。
菊池氏族でもあります。

西郷頼母・一族の墓には、花がいつも手向けられています。

小説『姿三四郎』のモデルは、西郷頼母の養子でした。
西郷頼母は合気道の祖ともいわれています。

会津武家屋敷は西郷頼母邸を復元したものです。
約400坪の面積、35室の宏大な邸宅です。
会津武家屋敷