2013/01/18

八重の桜>佐久間象山は幕末のダ・ビンチ・

佐久間象山の肖像 その1(拡大画像)
佐久間象山。妻(勝海舟の妹)撮影 
 :NDL
佐久間象山(しょうざん、1811- 1864、53歳)は、 松代藩(長野市)の下級武士の家に生まれました。

早熟で3歳にして漢字を覚えました。
城主・真田幸貫(ゆきつら、松平定信の次男)の見初められ修養しました。

 1842年、老中となった藩主・真田幸貫に「海防八策」を上書しました。
佐久間象山は、対外的危機を克服するためは、西洋の科学技術を摂取し、国力を充実することが必要だと説きました。

大砲をつくりました。
電気治療器を考案しました。
写真機をつくりました。
電信機をつくりました。
オランダ医術を習得しました。

1851年江戸で塾を開き、勝海舟、坂本龍馬、吉田松陰、小林虎三郎、加藤弘之らを教えました。 

1852年、42歳で勝海舟の妹順子をめとりました。

1853年のペリーの来航を機に積極的に開国論をとなえ、時代に大きな影響をあたえました。
<※ ペリーは、横浜で松代藩の陣屋を通りかかった時、佐久間象山を見て思わず会釈してしまいます。
風采が堂々として、異相だったからのようです。>

 しかし、1854年には、吉田松陰に暗に密航を進めたとして、松代に蟄居(ちっkと)を命ぜられました。

後の徳川慶喜(よしのぶ)らに西洋事情を説くなど、要人に啓蒙活動を続けました。

1864年、佐久間象山は、従者4人を連れ、京を馬で進んでいました。
ふところには開国の勅諭草案を忍ばせていました。

木屋町通りで、2人の攘夷派におそわれ斬殺(ざんさつ)されました。

象山は天才意識が強く、大変な自信家でした。

技術があり、語学をあやつり、内外に大きく吠えます。

孫正義を彷彿させます。

いまの日本に一番欲しい人物です。

象山神社