2014/03/15

川越藩初代藩主・酒井重忠:「堀川夜討の屏風絵図」を養寿院に寄進


川越藩初代藩主・酒井重忠  / *
堀川夜討(ほりかわようち) /*
堀川夜討  /*  東京国立博物館

酒井重忠(1549- 1617、68歳) 川越藩初代藩主

川越藩初代藩主は、酒井重忠です。

三河に生まれ、若い頃から徳川家康に仕え合戦に参加しました。

1582年、本能寺の変で織田信長が死去した時、家康一行を伊勢で船で出迎え、安全を確保しました。

1590年に徳川家康が豊臣秀吉により関東に移封されると、江戸近くの要衝川越に1万石の所領を与えられました。
家康の江戸入府直後でしたから、1万石は高禄でした。
酒井重忠は、家康に厚く信頼される重臣でした。
酒井重忠の父も、徳川家に仕え、徳川家康が人質として駿府に送られた際にも行動を共にしています。

※川越藩の誕生は1590年です。

酒井重忠は1590年から1601年まで川越の領主でした。

1600年の関ヶ原の戦いにも参加し、戦功により、川越藩の分領・厩橋(うまやばし)に3万3000石の所領を与えられ、厩橋藩初代藩主となりました。
※群馬県の厩橋(うまやばし)は、のちに「まえばし」となり、「前橋」と記されるようになりました。

川越藩初代藩主は、酒井重忠です。
川越藩2代藩主は、初代藩主酒井重忠の弟・酒井忠利です。
川越藩3代藩主は、2代藩主酒井忠利の子・酒井忠勝です。

3人の藩主が45年間、川越藩の藩政の基礎づくりをおこないました。


※ 2代藩主・酒井忠勝

川越藩2代藩主・酒井忠勝は、31年間にわたり徳川家光に仕えました。
家光の
  右手は酒井忠勝、
  左手は松平信綱
といわれました。
江戸幕府では、大老の要職につきました。
酒井忠勝の子孫は、小浜藩主となります。

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堀川夜討(ほりかわ よ・う・ち)。1185年、京都

堀川夜討は、源義経が京都堀川の自邸を、源頼朝の命により、襲われた事件です。
堀川夜討から義経の凋落が始まりました。
最上段の絵は、「血みどろ絵」のさきがけでもあります。

川越藩初代藩主・酒井重忠は、毎夜、矢叫び(やさけび)や蹄(ひづめ)の音で眠りを乱されました。
「城内のどこかに戦の絵があり、それが原因です」との助言で宝物庫を調べます。
堀川夜討の戦いを描いた一双の屏風(びょうぶ)がありました。
この屏風を養寿院に寄進したところ、その夜から矢叫びや蹄の音が消えました。

この話は、『川越城の七不思議』に「城中蹄の音(じょうちゅうひづめのおと)」として伝わっています。

この物語は、養寿院が、川越藩初代藩主の時代から藩主に帰依(=信仰)されていたことを伝えています。
徳川家康も養寿院に立ち寄りました。
川越では、養寿院、喜多院、蓮馨寺(れんけいじ)が御朱印寺です。


源義経の正妻は、河越重頼の娘です。
河越重頼の五輪の塔が、養寿院本堂左奥にあります。

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・3/29 正午より 養寿院 晋山(しんざん)式  見学自由


観光の隆盛は平和な社会の象徴です。
国と国とではなく、自分のマチと外国のマチの草の根の交流が必要です。
マチをおもしろくする必要があります。
高校に郷土部がなくなり、郷土への無関心層が激増しています。
郷土の歴史を掘り起こしたいものです。
川越と源氏のつながりも深いものがあります。


※1石はいくら?
米1石=金1両=小判1枚=約10万円
概算です。

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http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7
Art & Bell by Tora
川越市立博物館「酒井忠勝にみる近世大名の姿」『博物館だより』第17号、1996

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