川崎長太郎 私小説の地…小田原
東海道線で東京から小田原まで約1時間半。車窓に陽光降り注ぐ相模湾が広がり、行く先に箱根や富士の山々の連なりが見えてきたら小田原市街の近づきを知らせる合図である。
近年再評価の進む私小説作家、川崎長太郎(1901~85年)の生誕地が小田原。青春期の文学放浪を経て30代半ばを過ぎて故郷に帰り、死ぬまで土地を題材にした小説を書きつづり、歩き回った軌跡の一端をたどりたかった。私娼 窟を描く「抹香町 」をはじめ、老年に至って年若い女性と結婚した日々を表現した小説群は息長く読まれ続けている。
小田原ガイド協会の徳永千恵子さん(67)は地元の歴史や地理を深く学び、名所旧跡を知り尽くすガイドの達人。長太郎ゆかりの地の案内を請うたら、長太郎を知るには市街地の主だった観光地を知る必要があるという。「長太郎は市内各地を散歩して歩き回りましたから」。2時間半にわたる道中記をつづる。
まず小田原城。戦国時代、後北条氏が築いた城下町を象徴する城跡を巡る。名城として知られたが維新で取り壊し、戦後になって天守閣や様々な門など城郭の復元を行った。街には往時の土塁がさりげなく残る。長太郎もこの地面を踏み固めたのだろうか。
徳永さんの歩みは早い。戦国期に思いをはせる間もなく、小田原の生んだ偉人で江戸後期の二宮尊徳をまつった報徳二宮神社を詣で、城下町の商店街に出る。
カツオ節をメインに、サバやイワシなどの削り節を売る古い店構えの籠常 に到着。明治中期の創業。おかみの石黒淑枝 さん(91)の親切により様々な魚の削り節を味わう。魚の種類によって舌の上に乗った削り節からしみ出してくる魚のエキスとも呼ぶべき味が微妙に異なり、出汁 の世界の奥深さを知る。これなら家庭の料理一つとっても美味だろう。長太郎は長い独身期を外食で過ごしたが、口は奢 っていたに違いない。
かまぼこの丸う田代に向かう。徳永さんの歩調は早まっていく。小田原名物の練り物の原材料はグチであることを教えてもらい、明治初年の創業以来、機械は入っても製造工程は全く変わらず、それが今に至るまで名産、名品の秘訣 であることを教えてもらった。
長太郎が長年にわたって住んだ海岸沿いの物置小屋は店のすぐ近くだった。今は碑が立つばかりだが、西湘バイパスを挟んで地下道越しに太平洋の波が見える。長太郎が耳にしたであろう潮騒に思いをはせる……暇もなく、小田原文学館に至る。数々の文人墨客が愛したこの地の素晴らしさの教えを受け、徳永さんと別れた。献身的なガイドに感謝しつつも短時間ながら濃密で、疲労困憊 であった。
城近くのだるま料理店本店に入った。長太郎が毎日飽きることなくちらしずしを食べ続けた食堂で魚をかき込み、長太郎であったらこのせわしない道中記をさぞ私小説としてユーモラスに書いたであろうと思い、人知れず苦笑するのだった。(塩崎淳一郎、写真も)
●あし JR東京駅から小田原駅まで、東海道線で約1時間半。東海道新幹線「こだま」で35分。
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