宮城県栗原市の栗原寺(りつげんじ)


河越重頼の娘(義経の正妻)について説明する高橋住職


宮城県栗原市の栗原寺(りつげんじ)は、かつては天台宗の奥州総本山でした。
36坊を有し、僧数1000人を数え、浄土庭園を配した大寺院でした。

義経が金売吉次(かねうりきちじ) に伴われて都を出、
藤原氏を訪問のとき、この寺にとどまり、秀衡公への接見の許可を得るまで待ちました。
迎えの使者350余騎と栗原寺(りつげんじ)の僧兵50人に護られて、平泉入りし、秀衡公との接見を果たしました。


その13年後、義経は、頼朝に追われたときも栗原寺(りつげんじ)にようようたどり着きました。
このときは秀衡の息子の泰衡の150騎と僧兵に護衛されて平泉入りしています。

最後には、泰衡は、義経を自害させました。

栗原寺の住職は、川越の東京国際大学出身です。
東京国際大学の近くには河越館(かわごえやかた)があります。

義経の正妻はこの館で生まれ育ちました。
川越も義経にゆかりがあります。

河越重頼の娘は義経の正妻:河越館跡

栗原市を走るくりはら田園鉄道:栗駒山を遠望


栗駒山は岩手、宮城、秋田にまたがる山です。
11月過ぎには雪景色となり、縁起がよい左馬(さま)の雪形(ゆきがた、山腹にできる残雪の形)を演出します。
【※】左馬

くりはら田園鉄道は初秋には黄金色の田んぼの中を26キロ、40分かけてのんびり進んでいました。
2007年に廃止になりました。

 宮城県の地図 栗原市は最北端
くりはら田園鉄道線【地図】



55-66、77-88のナンバープレート。栗原市金成(かんなり)にて

岩手・宮城内陸地震  被災地のみなさまへ:
「このたびの思いもかけない地震、さぞ御傷心のこととお察します。
どうか再起に向けて立ち直られますようお祈り申し上げます。
健康一番です、ご自愛ください。
桑原政則