神功(じんぐう)皇后は、14代 仲哀(ちゅうあい)天皇の妃です。
神功皇后は、仲哀天皇が九州の熊襲(くまそ。九州南部の人々)征伐の
途中で亡くなったので、
仲哀天皇に変わり政務を取りました。
新羅は戦わずして降参しました。
百済(くだら)と高句麗(こうくり)も、
日本に朝貢することになりました。
これを神功皇后の三韓征伐と言います。
このことは好太王碑(こうたいおうひ。 399年)にも記されています。
神功皇后は新羅から戻り、筑紫で出産し、応神天皇を産みました。
そのため、15代 応神天皇は
胎中(たいちゅう)天皇、
八幡神(はちまんしん)、
武運の神
とよばれています。
この時期に大和朝廷の勢力が飛躍的に発展しました。
神功皇后の三韓征伐 【+7】
応神天皇:川越八幡宮 桑原政則
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