2018/03/16

江川英龍。外国との戦いに備え反射炉や台場を建設。Egawa Hidetatsu。3月4日没

江川英龍。外国との戦いに備え反射炉や台場を建設。Egawa Hidetatsu。3月4日没

・1801年6月23日- 1855年3月4日

韮山反射炉。世界文化遺産
鉄鋼を得るため反射炉の建造に取り組みました。
世界で残っているのは韮山反射炉だけです

江川邸  / NHK ロケ
江川邸はNHKの『篤姫』『西郷どん』にも使用されています。
パン祖
江川英龍はパン(堅パン)を保存用に用いようと考えました。
自邸内にパン窯(がま)を築きました。
全国パン協会は江川英龍をパン祖としてこの碑を建てました。碑文は徳富蘇峰によるものです。

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江川英龍は、鎌倉時代より800年間伊豆の代官として関東を管理した一族の当主です。

江川邸は、江戸時代には広大な幕府直轄地を支配した代官(知事)の邸です。敷地面積11,000㎡におよびます。幕命で伊豆、駿河、相模、甲斐、武蔵の支配に関わっていました。

江川英龍を人々は「世直し江川大明神」 と呼んで敬愛しました。
二宮尊徳を招聘して農地の改良などを行いました。
高島秋帆(しゅうはん)に弟子入りし、近代砲術を学びました。
【※】高島平は、高島秋帆に由来します。
西洋砲術の普及に努め、全国に教育しましtた。佐久間象山、大鳥圭介、橋本左内。桂小五郎(木戸孝允)などが門下で学びました。

ペリー来航直後(1853年)に品川台場を築造しました。
将軍の命令でつくられたので敬意を評して「お台場」とよばれました。

日本で初めての西洋式軍隊を組織しました。「気をつけ」「右向け右」「回れ右」は英龍の発意によるものです。

1849年にイギリスのマリナー号が江戸湾を旋回して伊豆下田へと移動しました。江川英龍は全権大使として退去をマリナー号船長に要求しています。
(江川)「私は大英帝国を、紳士の国だと聞いている!」
マリナー号は、静かに退去しました。
江川の言葉は英国史にも残っています。

江川家の支配地域には武州多摩も入っており、新撰組の結成に関係があります。身分を問わない実力主義の新撰組は、英龍の町民兵育成構想からきました。

江川家の江戸屋敷は、のちに福沢諭吉に払い下げられて慶應義塾舎となりました。


江川家の系譜。今も続いています。

江川邸

江川英龍  【3+】

名言
実用専務

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The Egawa family lived in Izu from about the end of the Heian period

Egawa mansion is the mansion of an officer (governor) who dominated the extensive shogunate under the Edo period.

Egawa Hidtatsu was revered as people called "revitalizing Egawa Daimyojin".

He invited Ninomiya Kinjiro to improve agricultural land.

He studied studied modern gunnery under Takashima Shuhan.

【※】 Takashimadaira comes from Takashima Shuhan.

He tried to educate Western gunnery nationwide. Sakuma Shozan, Keisuke Otori, Hashimoto Sanai, Kido Koin.

He built Shinagawa Daiba immediately after Perry 's arrival (1853).

The Edo residence of the Egawa family was later paid down to Yukichi Fukuzawa and became a Keio University building.
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