鴨長明『方丈記』 <音読。他4作品
鴨長明(1155?〜1216)は、鎌倉時代初期の歌人・随筆家です。
京都の神社の神官の家に生まれました。
後鳥羽上皇にめされて、和歌所の職員になりました。
のち出家し、そまつな方丈(一丈=約三メートル四方)の家に住みました。
方丈記 青空文庫
鴨長明(1155?〜1216)は、鎌倉時代初期の歌人・随筆家です。
京都の神社の神官の家に生まれました。
後鳥羽上皇にめされて、和歌所の職員になりました。
のち出家し、そまつな方丈(一丈=約三メートル四方)の家に住みました。
方丈記 青空文庫
行く川の流れは絶えずして、
しかも、もとの水にあらず。
淀(よど)みに浮かぶうたかたかは、
かつ消え、かつ結びて、
久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある、人と栖(すみか)と、
またかくのごとし。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
玉敷(たまし)きの都の内に、棟(むね)を並べ、
甍(いらか)を争へる、
高き賤(いやし)しき人の住まひは、
世々を経て尽きせぬものなれど、
これ(*)をまことかと尋(たず)ぬれば、
昔ありし家はまれなり。
玉敷(たまし)きの都の内に、棟(むね)を並べ、
甍(いらか)を争へる、
高き賤(いやし)しき人の住まひは、
世々を経て尽きせぬものなれど、
これ(*)をまことかと尋(たず)ぬれば、
昔ありし家はまれなり。
あるいは、去年(こぞ)焼けて、今年作れり。
あるいは、大家滅びて、小家となる。
住む人もこれに同じ。
所も変はらず、人も多かれど、
いにしへ見し人は、二、三十人が中に、
僅かに一人二人なり。
朝(あした)に死に、夕べに生まるる慣らひ、
ただ水の泡にぞ似たりける。
知らず、生まれ死ぬる人、
いづ方より来りて、いづ方へか去る。
また知らず、仮の宿り、
誰がためにか心を悩まし、
何によりてか目を喜ばしむる。
その、主と栖と、無常を争ふさま、
言はば、朝霧の露に異ならず。
あるいは、露落ちて、花残れり。
残るといへども、朝日に枯れぬ。
あるいは、花しぼみて、露なほ消えず。
消えずといへども、夕べを待つことなし。
【現代語訳 】
流れていく川の流れは絶えることがなくて、それでいて、(その水は刻々移り)もとの水ではない。
流れの淀んでいるところに浮かぶ水の泡は、一方で消えたかと思うと、一方ではまたできて、いつまでもそのままの状態で存在していることはない。
このように生まれてきている人と住まいも、また、同じようなものである。
玉を敷きつめたように美しい都の中に、棟を並べ、屋根の高さを競っている(ように並んでいる)身分の高い、また低い人々の住まいは、幾世代を経てもなくならないものであるが、これらの家々が本当に昔のままで残っているのかと調べてみると、昔あったままの家は珍しい。
ある場合は、去年火事で焼けて、今年新しく作っている。
ある場合は、大きな家が滅んで、小さな家となっている。
(家だけでなく、そこに)住んでいる人もこれと同じである。
場所も変わらず、人も大勢いるが、(よく見ると)昔見知った人は、二、三十人の中で、わずかに一人二人である。
朝に死ぬ人があるかと思うと、夕方に生まれる人があるという人の世のならわしは、全く水の泡に似ていることである。
(私には)わからない、生まれる人死ぬ人は(いったい)誰のために苦心して(建て)、何のために(飾り立てて)目を喜ばせようとするのか。
その、家の住人と住まいとが、どちらが先に滅びるかを競っている(かのようにどちらも滅び去っていく)様子は、例えて言えば、朝顔(の花)と、その上に置く露との関係に同じである。
ある場合は、露が落ちて、花が残っている場合もある。
(しかし、)残っているといっても、朝日にあたると枯れしぼんでしまう。
ある場合は、花が先にしぼんで、露はまだ消えないでいる場合もある。
(しかし、)消えないでいるといっても、夕方まで消えずにいることはない。
【解説】
[うたかた]
水の泡。
[かつ消え、かつ結びて]
一方では(泡が)消え、また一方では新しく泡ができて。
[ためし]
「例」。
[高き賤しき人の住まひ]
(身分の)高い人の住まい、(身分の)低い人の住まい、の意。
[尽きぬものなれど]
尽きないものではあるけども。
[昔ありし家]
昔あった家。
[いにしへ見し人]
昔から知っている人。
[仮の宿り]
仏教思想の三世(さんぜ。前世・現世・後世)のうち、現世は後世のための仮の世にすぎないという考え方からきている表現。
[目を喜ばしむる]
目を喜ばせようとするのか。
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あるいは、大家滅びて、小家となる。
住む人もこれに同じ。
所も変はらず、人も多かれど、
いにしへ見し人は、二、三十人が中に、
僅かに一人二人なり。
朝(あした)に死に、夕べに生まるる慣らひ、
ただ水の泡にぞ似たりける。
知らず、生まれ死ぬる人、
いづ方より来りて、いづ方へか去る。
また知らず、仮の宿り、
誰がためにか心を悩まし、
何によりてか目を喜ばしむる。
その、主と栖と、無常を争ふさま、
言はば、朝霧の露に異ならず。
あるいは、露落ちて、花残れり。
残るといへども、朝日に枯れぬ。
あるいは、花しぼみて、露なほ消えず。
消えずといへども、夕べを待つことなし。
【現代語訳 】
流れていく川の流れは絶えることがなくて、それでいて、(その水は刻々移り)もとの水ではない。
流れの淀んでいるところに浮かぶ水の泡は、一方で消えたかと思うと、一方ではまたできて、いつまでもそのままの状態で存在していることはない。
このように生まれてきている人と住まいも、また、同じようなものである。
玉を敷きつめたように美しい都の中に、棟を並べ、屋根の高さを競っている(ように並んでいる)身分の高い、また低い人々の住まいは、幾世代を経てもなくならないものであるが、これらの家々が本当に昔のままで残っているのかと調べてみると、昔あったままの家は珍しい。
ある場合は、去年火事で焼けて、今年新しく作っている。
ある場合は、大きな家が滅んで、小さな家となっている。
(家だけでなく、そこに)住んでいる人もこれと同じである。
場所も変わらず、人も大勢いるが、(よく見ると)昔見知った人は、二、三十人の中で、わずかに一人二人である。
朝に死ぬ人があるかと思うと、夕方に生まれる人があるという人の世のならわしは、全く水の泡に似ていることである。
(私には)わからない、生まれる人死ぬ人は(いったい)誰のために苦心して(建て)、何のために(飾り立てて)目を喜ばせようとするのか。
その、家の住人と住まいとが、どちらが先に滅びるかを競っている(かのようにどちらも滅び去っていく)様子は、例えて言えば、朝顔(の花)と、その上に置く露との関係に同じである。
ある場合は、露が落ちて、花が残っている場合もある。
(しかし、)残っているといっても、朝日にあたると枯れしぼんでしまう。
ある場合は、花が先にしぼんで、露はまだ消えないでいる場合もある。
(しかし、)消えないでいるといっても、夕方まで消えずにいることはない。
【解説】
[うたかた]
水の泡。
[かつ消え、かつ結びて]
一方では(泡が)消え、また一方では新しく泡ができて。
[ためし]
「例」。
[高き賤しき人の住まひ]
(身分の)高い人の住まい、(身分の)低い人の住まい、の意。
[尽きぬものなれど]
尽きないものではあるけども。
[昔ありし家]
昔あった家。
[いにしへ見し人]
昔から知っている人。
[仮の宿り]
仏教思想の三世(さんぜ。前世・現世・後世)のうち、現世は後世のための仮の世にすぎないという考え方からきている表現。
[目を喜ばしむる]
目を喜ばせようとするのか。
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音読の効用
- 音読は、目と耳をともに使うので、記憶しやすいです。
- ストレスが発散し、気持ちが落ち着きます。
- のどの筋肉がきたえられます
作品の表記について
- 読みやすいように、表記を改めた所があります。
- 差別的な表現も、原作の独自性を保つために、そのまま表記しました。
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