薩摩藩の祖 島津忠久は、武蔵国の出身
・~1227年6月18日没
源頼朝は北武蔵一帯を検地しました。
北武蔵が広大で肥沃な平野であることを見て重要視します。 このとき、頼朝は都幾川村の慈光寺に銅鐘を奉納しています。
…。
源頼朝は、河越氏と近隣の比企氏を結びつけることにしました。
こうして、河越氏初代の河越重頼は、源頼朝の勧めで、比企(ひき)氏の次女と結婚しました。
河越重頼と比企氏の次女の間に生まれた娘はやがて、源義経の妻となりました。
比企氏の長女は、島津忠久を生み、薩摩の島津氏の祖となりました。
父親は未確定です。
島津忠久は鎌倉で生活しますが、比企氏の縁者であったことで重んじられて、子孫は薩摩の守護に任じられました。
島津家には「島津忠久は源頼朝の子供」という言い伝えがあります。
島津忠久が建てた鹿児島の花尾(はなお)神社は、源頼朝と忠久の母を祀っています。
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