小林虎三郎。米百俵、教育の精神で未来をつくる。Kobayashi Torasaburō。8月24日没
・1828年9月26日。越後の長岡~1877年8月24日没。49歳
新潟の長岡は質実剛健の気風で知られています。
【※】長岡市の位置 https://kotobank.jp/image/dictionary/nipponica/media/81306024007413.jpg
北越戊辰(ほくえつ ぼしん)戦争の戦火で、長岡は廃虚と化しました。
北越戊辰(ほくえつ ぼしん)戦争の戦火で、長岡は廃虚と化しました。
藩士たちは、食うや食わずの生活をおくっていました。
【※】北越戊辰(ほくえつ ぼしん)戦争ゆかりの地
https://www.pref.niigata.lg.jp/sec/nagaoka_kikaku/1356892696946.html
長岡藩の窮乏を見かねて友藩から救援米百俵が贈られてきました。
大参事・小林虎三郎は皆の反対を押し切って、
「この百俵の米は文武両道に必要な学校の設立にあてる」
と言い、新生長岡のため、百俵の米を学校設立のために売却しました。
この故事は山本有三の戯曲『米百俵』により知られることになりました。
英訳もでています。
長岡藩の窮乏を見かねて友藩から救援米百俵が贈られてきました。
大参事・小林虎三郎は皆の反対を押し切って、
「この百俵の米は文武両道に必要な学校の設立にあてる」
と言い、新生長岡のため、百俵の米を学校設立のために売却しました。
この故事は山本有三の戯曲『米百俵』により知られることになりました。
英訳もでています。
小林虎三郎
小林虎三郎は、佐久間象山の門下で、吉田松陰(寅次郎)とならんで、
「象門の二虎(しょうもんのにこ)」
と称せられるほど学問に秀でていました。
17歳で藩校の助教をつとめました。
長岡には、米百俵の質実剛健の精神は今に脈々として生き続けております。
* * *
10万石以下の小藩には、学問の盛んな藩が多いです。
長岡藩をはじめ、越前の大野藩、石見(いわみ)の津和野藩などがそうです。
大藩に対抗して存在を示すには、学問が格好の題材でした。
偉い医者や学者を出すと、殿様は江戸城で大いばりできたからです。
教育(ひとづくり)こそ未来の希望!小林虎三郎が残した「米百俵の精神」とは
長岡は逸材の宝庫です。
- 良寛:禅僧
- 河合継之助(つぎのすけ)
- 長岡藩軍事総督
- 山本五十六
- 連合艦隊司令長官
- 小林虎三郎
- 米百俵の主人公
- 井上円了
- 東洋大学の創設者
- 小金井良精(よしきよ)
- 人類学者。
- 母は小林虎三郎の妹。妻は森鴎外の妹。
- 作家の星新一は孫
- 堀口大學
- 詩人
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米百俵で未来を創った男ー 小林虎三郎
米百俵史跡めぐりモデルコース 長岡市
『米百俵 』(新潮文庫)
北越戦争 【8+】