松平容保(かたもり)。最後の会津藩主。京都守護職を引き受ける。12/5没。 59歳
松平容保(かたもり)。最後の会津藩主。京都守護職を引き受ける。 Matsudaira Katamori。12/5没
・ 1836年2月15日~ 1893年12月5日没。59歳
1880年、松平容保(かたもり)は日光東照宮宮司となります。
【※】会津藩の初代 保科 正之(ほしな まさゆき) と最後 松平容保
松平容保と会津若松城 ~戊辰に淡雪舞いて【+3】語り
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| 松平容保 |
・ 1836年2月15日~ 1893年12月5日没。59歳
松平容保(かたもり)は、
幼児より
皇室尊重、
徳川家への絶対従順
の教育をほどこされます。
幼児より
皇室尊重、
徳川家への絶対従順
の教育をほどこされます。
1862年、京都守護職に任じられます。
京都の治安と公武合体(公<朝廷>と武<幕府>の合体)に力を尽くし、孝明天皇の信頼を得ます。
【※】孝明天皇
明治天皇の父。攘夷(じょうい。外国を追いはらう)の立場に立つ。
| 禁門の変 |
1864年、禁門の変で、
長州が京都御所で武力衝突を起こします。
対して会津藩・薩摩藩の幕府勢力が、京都御所を守ります。
長州が京都御所で武力衝突を起こします。
対して会津藩・薩摩藩の幕府勢力が、京都御所を守ります。
【※】禁門の変
御所の蛤御門(はまぐりごもん)の周辺でまじえた戦い。蛤御門の変。
京を追われた長州は、再び上京し、
薩摩・会津と衝突してやぶれます。
御所の蛤御門(はまぐりごもん)の周辺でまじえた戦い。蛤御門の変。
京を追われた長州は、再び上京し、
薩摩・会津と衝突してやぶれます。
1868年、鳥羽・伏見の戦で幕軍は敗れます。
【※】鳥羽・伏見の戦い
京都の南、鳥羽・伏見で行われた薩長 対 徳川軍との戦い。
徳川慶喜の内大臣の辞退と領地返納がきまると、
旧幕府方が鳥羽・伏見で薩長と交戦。
幕軍は敗北。
これが戊辰戦争(ぼしん。1868年 – 1869年)の発端に。
京都の南、鳥羽・伏見で行われた薩長 対 徳川軍との戦い。
徳川慶喜の内大臣の辞退と領地返納がきまると、
旧幕府方が鳥羽・伏見で薩長と交戦。
幕軍は敗北。
これが戊辰戦争(ぼしん。1868年 – 1869年)の発端に。
1880年、松平容保(かたもり)は日光東照宮宮司となります。
【※】会津藩の初代 保科 正之(ほしな まさゆき) と最後 松平容保
保科 正之 は、3代将軍 家光の弟(異母弟)です。
信濃国の高遠藩 藩主を経て、会津藩の初代に。
松平容保(かたもり)は、最後の会津藩主です。
会津藩の初代は、保科 正之
会津藩の初代は、保科 正之
最後の会津藩主は、松平容保
【名言】
「義に死すとも不義に生きず」
【名言】
「義に死すとも不義に生きず」
松平容保と会津若松城 ~戊辰に淡雪舞いて【+3】語り
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