2017/10/11

タイ史




タイの地形は、タイ人の尊ぶ象の頭



  • 1 スコータイ朝
  • 2 アユタヤ朝
  • 3 ラタナコーシン朝
(むか~し、長江を原郷とする人々がいました。
これらの人々は、日本語、タイ語、インドネシア語を話す民族に別れて生きました。仮説です。
 日本語、タイ語、インドネシア語は姉妹語   )

タイ史は、南下史です。

タイ人は、中国の雲南あたりに住んでいました。

8世紀ごろから南下をはじめました。

1253年、雲南の大理(だいり)が、モンゴル帝国のフビライに滅ぼされると、大量にインドシナ半島に移動しました。

【※】大理(だいり)
大理石の産地

1 スコータイ朝(1257~15世紀)

1257年タイ人は、カンボジアのアンコール朝から独立し、スコータイ朝を建てました。
スコータイ朝は上座部仏教を立国の精神にかかげました。

3代ラーマカムヘン(位1275頃~1317頃)は、カンボジアの文字をもとにタイ文字をつくりました。

15世紀に南のアユタヤ朝に併合されました。


2 アユタヤ朝(1350頃~1767)

1350年ころアユタヤ朝が建国されました。

1432年アユタヤ朝は、カンボジアのアンコール朝を滅ぼし、領土を拡大しました。

アユタヤの日本町の山田長政は、数々の戦功を立てて最高の官職につきましたが、王位継承争いに巻き込まれて死去しました。

アユタヤ朝は、1767年ビルマのコンバウン朝に滅ぼされました。


3 ラタナコーシン朝(1782~)

1782年 ラーマ1世は、バンコクにラタナコーシン朝を建てました。

【※】ラーマ
生き仏のこと。

ラーマ5世(チュラロンコーン大王)は、ヨーロッパの諸制度を積極的に導入しました。
そのため、英仏の重圧を回避でき、さらに両国の緩衝地帯となることができ、植民地を免れました。

東南アジアで植民地にならなかったのはタイのみです。

第一次世界大戦後の1932年にタイ立憲革命が起こり、陸軍将校のピブンが首相に就任しました。

1941年に太平洋戦争が起こると、日本と同盟条約を締結し、結果的に日本軍による占領を免れました

戦後はSEATO(シアトー、東南アジア条約機構)、ASEAN(アセアン、東南アジア諸国連合)の原加盟国となりました。

経済的には、2003年6.7%の経済成長率を達成しています。
政治的には、軍事クーデターが頻発し、軍政と民政が繰り返されています。


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