プミポン タイ国王。ラーマ9世。10月13日 永眠 。タイの偉大なる父 。生き仏

プミポン タイ国王。ラーマ9世。2016年10月13日 永眠 。タイの偉大なる父 

プミポン タイ国王。
/ sabaai  sabaai! Thailand  
(元気なタイ王国)


プミポン国王夫妻、天皇、皇后両陛下  1991年   




・1927年12月5日。マサチューセッツ州―2016年10月13日。88歳 
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プミポン国王は
18歳(1946年)から2016年(70年間)
にわたり国王
をつとめました。


プミポン国王は、
農村を豊かにしようと各地に精力的に足を運びました。

国民は敬愛をこめて「国父」とよぶ様になりました。

生き仏 のような存在でした。



第二次大戦の頃には、東南アジアの国々は
植民地になってしまいました。

タイだけが独立を守り通しました

イギリスが宗主国:ミャンマー。マレーシア
フランス
が宗主国:ベトナム。カンボジア。ラオス
オランダが宗主国:インドネシア
アメリカが宗主国:フィリピン


戦後、タイは農業国から工業化を目指しました。
しかし政治は不安定のままでした。

軍と市民はよく衝突しました。
クーデターも20回
ほど起しています。

【※】クーデター(仏: coup d'État <国家への打撃>)とは、
タイの場合は、軽~い
政権移管です。
クーデタで子供と写真をとる兵士


プミポン国王は、
国民の敬愛と支持を背景に
争いごとの調停者となってきました。

タクシン首相とデモ指導者に和解を説くプミポン国王。1992年 暗黒の5月

992年市民に軍が発砲する暗黒の5月が起きました。
国王はデモ隊と軍の指導者を王宮に呼び出し、和解する様に説得しました。

双方の指導者は、
国王の前にひざまずいて
和解を受け入れました。

国王の影響力を全世界にまざまざと印象付けた場面
です。

プミポン国王が、築き上げた絶対的な地位は、
後継者に受け継がれることはないようです。

プミポン国王と昭和天皇  1963年。/AP


11頭の象が 前 プミポン国王に
王宮前で哀悼をしめす

哀悼を示す白象の一団
プミポン国王の死去1年後

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【※】ラーマとはタイ国王のこと

ラーマ1世は、ビルマ軍を撃退して、1782年バンコクに王朝を建てました。
200年以上続く東南アジア最古の王朝です。
プミポン国王は、ラーマ9世でした。

歴代国王は”ラーマ”の称号でよばれています。

ラーマは、インドの『ラーマーヤナ(ラーマ王 行状記)』の主人公です。
ラーマは、
ブッダの化身(けしん。生まれ変わり)です。
タイ国王は、生き仏
です。



王政は、社会の安定、秩序に役立ちます。
王政がゆらぐと、タイの政治は混乱します。

軍政が安定を保っているのも、
プミポン国王陛下のご存在があってこそでした。



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国民の支持を失った王政は崩壊しやすいです。

ネパールの王政が崩壊したのは、
王族同士の内紛で国民が愛想をつかしたからだ。


 東南アジアは、植民地化され、王室もなくなってしまいました。

タイ王室が存続しているのは、
植民地化されず、共産化しなかったから
です。
アジアでは、タイ、ブータン、日本が君主制です。




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