プロフィールの書き方: 桑原政則の場合

プロフィールの書き方: 桑原政則の場合

(2006年5月作)

(ある編集者の依頼で口伝えしたものを、
書き直したものです。妄言多謝  )


◆ なぜプロフィール?

混沌とした現代に自分を見失わずに生きていくことはむずかしいものです。

自分を確立し、「自己実現」をはかるためには、
「自分探し」により自分の座標軸を見すえることが必要です。
若い人々のために、自分探しのためのアイテム(item、項目)を質問形式で紹介していきます。

これらのアイテムが、自分史の材料になり、
プロフィール(profile、横顔)づくりの一助になることを期待しています。

プロフィールをA4紙1ページにおさめ、
名刺とともにわたすと、
自己紹介文にもなります。


私事を記すことは、
ものぐさくとまどいがあるものですが、
若い人への参考のために
、あえて桑原政則を実験台にプロフィールの書きかた、
キーワードを探っていきたいと思います。



◆ 生まれは?

1940年に生まれました。
昭和15年で、辰年です。

皇紀(こうき)2600年です。
初代天皇の神武天皇の即位から2600年目です。

零戦は2600年にできたので、
ゼロ戦と命名されました。

1940年生まれの著名人には、
野球の王さん、
すもうの大鵬をはじめ、次のような人がいます。

麻生太郎 荒木経惟 王貞治 篠山紀信 大鵬幸喜 野口悠紀雄 原田泰治 板東英二 村松友視 竜雷太


◆ 生年のできごとは?

【ウィキペディアで、「1940年」と入力すると、参考情報が得られます。左欄のEnglishで英語情報が。】
  • 1940年は、翌年の太平洋戦争への準備を陸軍が着々と進める年でした。
    日独伊三国同盟締結、大政翼賛会発足の年でした。
  • 陸軍強硬派による内閣交代が2度もおこなわれました。
  • 日独伊三国同盟が締結されました。
  • 大政翼賛会が発足しました。
  • お互いを監視しあう隣組制度にみんな加入することになりました。
  • 洋風禁止のため、ダンスは禁止となり、「ドレミファ…」は、「ハニホヘト…」に変更になりました。
    ディック・ミネなどの洋風芸名も禁止となりました。
  • 紀元2600年記念行事が行われ、満州国皇帝の溥儀(はくぎ)も奉祝に来日しました。
  • 「八紘一宇(はっこういちう)」が流行語でした。
    「八紘一宇」とは、全世界を一つの日本の家にすることで、日本の海外侵略を正当化する標語でした。
  • 「贅沢は敵だ」の贅沢(ぜいたく)禁止令が出されました。
    指輪などをしていると、「指輪は全廃しませう」と記されたカードを渡されました。
  • 流行歌「蘇州夜曲」「湖畔の宿」がはやりました。

◆誕生日のできごとは?

自分の誕生月日の出来事や星座は下から調べます。
【例】1月1日誕生月日の出来事。ウィキペディア


◆しあわせなひとときは?

ホームページやブログの更新、毎日の課題を終えたときです。

終えたときは、
達成感で周囲がバラ色に変わります。

この至福のひとときがあるからこそ、
次の課題へのチャレンジ精神が生まれます。

ホームページの更新は1995年以来、
ほぼ毎日ペースでおこなっています。

インターネットに1995年に出会ったとき、
脳内に電撃が走りました。
「これは、
産業革命以来の大革命だ。
この革命に参加しよう。」と決意し、
いまに至っています。


「あることに精通するには、
10年以上続けること」といわれますが、
インターネットを通じ多くの事柄を学び、
「桑原政則オンライン」「武蔵観研」を通じて、
多くの人から知遇を得ています。

◆ 座右銘、人生訓は?


「常在学習 万象皆師(ばんしょうかいし)=
「どこでも学習、だれもがわが師」」です。


中小企業の経営者のみなさまは、
仕事が趣味なので長く働きます。
また生き抜くために常にアンテナを張り、
勉強しています。

「仕事が遊び」、
「仕事が勉強」になっています。


「ひとり仕事」を主にするわたしの場合も同様です。


変転激しい今の世の中では、
仕事・遊び・勉強の融合が理想的です。
<公私融合>です。

仕事に遊びの要素があれば、
やりがいがあるので、
仕事にうちこむ日数も時間数もふえます。


<* 新潟県・長岡藩の藩是は、
「質実剛健」「常在戦場」でした。
わたしの座右銘の「常在学習」は、ここに由来します。>


◆ エト、九星、星座、誕生石、誕生花は?

干支(えと)は龍、
九星は六白金星、
星座はしし座、
誕生石はペリドット、
誕生花は「さぎそう」です。

◆ 好きな麺類は?

そば→ ラーメン→ パスタ→ うどんの順です。
  • そばは、冬でももりそばです。
    そば屋さんが多い街は、
    上品でしっとりしたところが多いようです。
  • ラーメンは、タンメン(野菜入り塩味ラーメン)が好みです。
  • パスタは、ボンゴレ(VONGOLE アサリ)がいいですね。
    アメリカでは、パンもついてきて、できあがりがおそいので、ワインがお供になります。
    イタリア、ローマのトレビの泉付近で、安いパスタでおなかをいためました。
  • うどんは、まだ出会いがありません。
<* 沖縄に行くと、
毎日沖縄そばをいただきます。 >

◆ 利き目は?
右です。
長時間のデスクワークやパソコン作業では、利き目(ききめ)に負担がかかるので、特に右目のケアに留意しています。

きき目は次のようにして、調べます。
  1. 手でOKの穴をつくり、顔から10cmはなします。
  2. 穴から目標物を見ます。
  3. 右眼を閉じて目標物が見えていれば、右目が効き目です。 
◆ 利き手、利き足は?

共に右です。

スラックスなどの寸法は、きき足ではかりますね。
きき足では、ボールなどを蹴ったりするので、少し長くなっているからです。

東南アジアの国などでは、
左手は不浄とされているので、
左利きの人も右手で物の受け渡しをおこないます。

きき手は、英語では、 dominant hand といいます。
左利きは、left-hander 、southpawといいます。


◆  出身地は?

東京と三重県です。
1940年東京の下町で生まれました。
父は三重県人、母は東京人です。

1944年、
4歳の時、
東京大空襲を逃れるため、
兄と二人だけで列車に乗せられて、
松坂市の奥にある飯南郡(いいなんぐん)という奈良県境の村にある父の実家にあずけられました。

<*  小津安二郎監督がこのあたりの出身です。>

本も紙もラジオもなにもない時代でした。
食事はイモ、イモ、イモ、カボチャでした。
イモは茎まで食料でした。
今でもイモ、カボチャが苦手です。

川カニ、カエル、ヘビも食料でした。
ミミズは天日に干して煎じ薬にしました。
草木虫魚の価値は、食べられるかどうかによりました。

お手伝いで、
丸太をかついで山を何回もくだった記憶があります。
わたしはいまだに腰痛になったことがありませんが、
丸太担ぎなどで、
腰の使い方を幼時に体得したからでしょうか。
ふりかえるときびしくも楽しい自然学習のときでした。

川はきれいで鮎の友釣りを楽しんだこともありました。

東京の家は、1945年の東京大空襲で全焼しました。
わたしは、
おばさんたちが竹槍を、
大空を遊弋(ゆうよく)するB29爆撃機に向けて
「エイヤッ」と突き立てているのを覚えています。
防空警報のサイレンが鳴ると、
いそいで家の前に掘った防空壕に逃れました。


 東京の家財道具は、全焼前に、三重県に運び込まれました。
しかし疎開(そかい、戦争からの移転)先の家も
しばらくして全焼してしまいました。
わたしは、「家は焼ける」ものだとの思いこみがあります。

2回の全焼にもかかわらず、不思議にアルバムは残っています。
以来、わたしは、アルバムを大切にしています。
今は、ウェブ上に保存できるので感謝しています。


小中学校は津ですごし、
津高1年を終えて東京に転校しました。
津は関西方言なので、
津駅では、「ツウ、ツウ」と2音節で放送します。
木は「キイ」です。


 三重県の隣は和歌山です。
木(キイ)のクニですから、「紀伊」となりました。


 三重の疎開先では、
東京弁をからかわれるので、
いつも兄と二人きりでした。
高校2年で東京へもどったら、
伊勢弁をからかわれました。
高校の教室掃除で疲れて、
「あー、えらっ」といったら
「何が偉いの」と大笑いされました。
    「えらい」は「つかれる」のことです。


引っ越しで移転のデラシネ感は日本のどこにいてもついてまわり、
後年、東南アジア、アメリカなどの外国へでかけるようになるのも、
無意識のふるさとさがしかもしれません。


戦後は、何もなく、
食べることだけが関心事でした。

しかし、
空は青く、
山は緑で、
水は澄み、
なんとなくみんなあかるかったです。

軍隊、警察、隣組など重しがとれて、身軽になったからでしょうか。


明日は今日よりちょっぴりはよくなるとの思いがありました。
  • 東京大空襲 ウィキペディア
    • 日本政府は、東京への無差別爆撃を指揮し、東京の3分の1を焼いたカーチス・ルメイという男に勲一等旭日章をさずけています。
      日本はいまだに戦争記念館を建てるのを遠慮しているようです。

◆ 学校の思い出は?

1946年(昭和21年)飯南郡から引っ越して、
津市の高茶屋(たかちゃや)小学校に入学しました。

教室が足りないので、午前午後の2部授業でした。
廊下授業もふつうでした。
窓ガラスはなく、
代用ガラス(網戸にのりをはったもの)でしたので、
廊下と教室の声はつつぬけでした。


1年生の時は、国語の教科書はガリ版刷りで
アカイ アカイ アサヒ」【画像】と
カタカナで記されていました。

当時は漫画もカタカナでした。
蝶々は「テフテフ」でした。


2年になって
突然ひらがなの教科書になりました。
カタカナは軍国主義を助長するから
「ダメ」とのことでした。

突然のことで、頭がラリラリラーンとなり、
自分を喪失し、
外国人になったような気がしま した。


学校は午前で終わったり、
午後から始まったりでいい加減でした。
その時々で来ない者も多くいました。
食べるものがなく、栄養失調が常態でした。


しかし、ある時から学校が
みんなにとって楽しみに変わりました。
無料給食が始まったのでした。

さいころ4つ分ぐらいの分厚いチョコレートが出たことがありました。
コッペパン、ミルクが出るようになったのです。
天国降誕です。

ある者は給食時間にだけ
学校にきたりしました。
農繁休暇で家を手伝っているので、
昼の時だけやってくるのでした。


それまでは、登下校の途中で
草花、虫、野菜、芋、木の根ですきっ腹をいやしていました。
わたしたちが下の世代よりも
身長が10センチも低いのはこのためです。


<* わたしたちの学校を天国にしてくださったのが、
原敬の書生をして、
アメリカに渡った浅野七之助さんです。
浅野さんの「ララ物資」でわたしたち児童は学校が好きになり、
体力を維持できました。
浅野さんはわたしたちの世代の恩人です。 >


今でもわたしの好物は、
かつおぶし、のり、タマゴです。
その時代の高級品だったからです。

タマネギや漬け物にミニ袋いっぱいのかつおぶしをかけると、
ゴージャスな気分になります。

タマゴかけご飯も時たまのごちそうでした。
タマゴ2つは許されませんでした。

風呂はなく、
庭でたらいで週1、2回、行水(ぎょうずい)でした。
湯上がりタオルなどはなく、今でももったいない気分です。


学校には校則も宿題もなく、
毎日外で日が暮れるまで遊びました。
野原、川、森などの自然が先生でした。
わたしは棒高跳びが得意でした。


小中の時代には、
家には机も勉強部屋もありませんでした。
うちで勉強したことはありませんでした。


本にありつけるようになったのは、
小学校5、6年の時、
となりの古物商に大量の本が運び込まれるようになってからでした。
毎日、山のような古本を手当たり次第に読むのが楽しみでした。

*     *     *

そのころ、わたしたちのキョウーダイは、5、6人がふつうでした。
お国が親に「生みなさい」といったからでした。


戦後は「日本が貧しいのは人口が多すぎるからでする」と学校では教え続けました。
わたしは親戚のいるブラジルへ行くことも考えました。


今は、「生まないから日本は滅びの道を走っている」といわれています。
東京で民間人を殺し、家を焼いたのは、
日本政府と米政府ですが、沙汰なしです。

国というものは、いい加減なものです。
国は国民のことを考えません。
手当しません。

◆ 日頃の心がけは?

「やさしい人(good-hearted person)」になることを心がけています。

農業の時代は、
「土地持ち」が世の中を左右していました。


資本主義の時代は、
「金持ち」が権力をにぎり、人々は金持ちをめざします。

しかし、アメリカの例を見ても、
金持ちはいそがしく、
対人関係を損得で判断し、
家庭や近くの人々とゆっくりする暇もありません。
常に競争にさらされていて、
一瞬の油断も許されず、
一歩まちがえると、
奈落が待っています。
決してしあわせではありません。


時代は、
「土地持ち⇒ 金持ち⇒ 時間持ち⇒ 心持ち  へと、移ってほしいものです。


農業社会では資源は土地でした、
工業社会では工場でした、
今は資源は人の頭の中にあります。


人が、大学などへかようのは、漠然とでも、
「学ぶことが幸せになる最善の手段」と思っているからでしょう。


わたしにとっても、
新しいことを学ぶことは、
仕事でもあり、
勉強でもあり、
趣味でもあります。
一生学び続けます。

またそれ以前に、
人に迷惑をかけないためにも、
またしあわせになるためにも、
健康に留意しています。

わたしの手帳には、
タイ語で
「健康で、ほほえみ、ひとをほめ、ゆっくり、紳士的に」
と自戒のことばが記してあります。
また「常在学習 万象皆師。(
どこでも学習、だれもがわが師)」もモットーです。


◆ 朝はなにを?

目覚めが早すぎる場合は、
昨晩の書物をよみつづけます。
起きたら散歩にでかけます。
近くに神社、お寺があるので、
そこで
体操をします。
新聞をよく読みます。


◆ ゴルフは?
高2から  キャディー
タイ
アメリカで



◆ 新聞は?

新聞の読み方


◆ ブログは

1日にメリハリがつきます。  
IT能力が自然につきます。  
仕事≒趣味  です。

世界に敏感になります。
はじめは、義務感⇒今は、達成感 です。
ホームページも同じ

桑原政則

常用の四字熟語 

桑原政則 常用の四字熟語   

わたし(桑原政則)の常用の四字熟語です。    <2007年

  • 合縁奇縁 一意専心 一路平安   威風堂々
  • 隠忍自重 円転滑脱 閑雲野鶴   寛仁大度
  • 旗幟鮮明 旭日昇天   行雲流水   順風満帆
  • 所願達成 初志貫徹   率先垂範 泰然自若
  • 飛耳長目 明窓浄机 勇往邁進   粒々辛苦

わたしのモットーです。
  • 「常在学習 万象皆師」



【四字熟語(four-character idiom)の英訳

一期一会 Once-in-a-lifetime chance
因果応報 cause and effect
一日一善 One good per day
花鳥風月 flowers, birds, wind and moon
誠心誠意 In all sincerity
森羅万象 All things in the world
因果応報 cause and effect




#常在学習 万象皆師  #  #  #  #  #  #  #  #  #  #  #  #  #  #By 桑原政則

平清盛。武士と貴族の頂点に立つ。神戸港で日宋貿易。貨幣経済をもたらす。厳島(いつくしま)神社。3月20日没

平清盛。武士と貴族の頂点に立つ。神戸港で日宋貿易。貨幣経済をもたらす。厳島(いつくしま)神社。3月20日没 
source:『天子摂関御影』。宮内庁三の丸尚蔵館
・1118年~ 1181年3月20日没。満64歳

平清盛(たいら の きよもり)は、
1156年の保元の乱を経て、
平治(へいじ)の乱で源氏をおさえて、
太政(だいじょう)大臣に
登りつめます。

1156年の保元(ほうげん)の乱は、
    後白河(ごしらかわ)天皇
    崇徳(すとく)上皇
との争いです。
両グループとも、平氏、源氏の武士に加勢をたのみました。

【※】受験  1156年  保元の乱 ◇ いいころ保元、後白河
*後白河が崇徳上皇をくだす。平清盛、源義朝の進出のきっかけに。


後白河天皇方が勝利します。
後白河天皇についたのは、平清盛、源義朝です。


この乱により、公家の世から武家の世が来ることになります。



1159年の平治の乱は、平清盛と源義朝との京都でのたたかいです。
平清盛が勝ち、
源義朝は殺され、
息子の頼朝は伊豆へ流されました。

平清盛は、頼朝を助命しました。

【※】受験  1159年  平治の乱  ◇ いちいちご苦労、平治で、清盛


清盛は、のちに後白河上皇と対立し、院政をやめさせました。


清盛は思うがままの政治をおこない、
「平家にあらずんば、人にあらず」といわれる
平氏一色の世の中を
つくります。 


1168年、満50歳の時、熱病で生死の境をさまよい、出家します。


厳島(いつくしま)神社を造営します。


清盛は、西国を基盤に、
対宋貿易に積極的にとりくみます。
茶、陶磁器、生薬などを輸入します。
宋との貿易のもとでになったのは、奥州でとれるようになった金です。


1171年、平清盛は、娘を、高倉天皇の后にしました。

高倉天皇は、清盛のあやつり人形です。
7歳で即位し、20歳で退位し、翌年なくなりました。

1180年、娘の子・安徳天皇を即位させました。


★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★

平治の乱のほぼ20年後、
源頼朝が1180年伊豆で旗揚げします。
富士川の戦いでは、平家軍を戦わずして敗走させます。


各地で源氏が挙兵するさなかに、
平清盛は熱病に感染しなくなります
遺言は「伊豆の流人(るにん)、頼朝の首をわが墓の前におくべし」です。


1185年、平家は壇ノ浦でほろびます。

【ショート】

平清盛 








*     *     *

・ 平清盛と西行(さいぎょう。歌人)は同年の1118年生まれです。

・ 平氏の政権はなぜ短命だった?
経済力はもっていましたが、武士が世の中を動かすことがわからず、
貴族政治を続けた
からです。

平氏の政権は20年足らずで終わりますが、
源氏の政権は100年以上も続きます。

源氏の政権は、公家の京都から都を鎌倉に移します。
政権の基盤を、公家ではなく、武士に置きます。


*     *     *

★ 平氏も源氏も祖先は皇族

平氏は、祖先は皇族です。
桓武(かんむ)天皇の血を引く桓武平氏です。
桓武天皇の時代に、臣籍降下(しんせきこうか)したので桓武平氏とよばれます。
臣籍降下は、財政の負担をへらすために、皇族の数を減らす策でした。


 川越の河越重頼も桓武平氏の傍流・秩父平氏の一族です。
河越重頼
源氏も、祖先は皇族です。清和源氏が有力です。
皇族は、姓をもっていません。臣籍降下して姓を持つようになります。

*     *     *


観光スポット
・京都
・神戸: 都を移そうとしたところです。
・山口市、壇ノ浦: 源平合戦
・広島県、宮島の厳島神社:平清盛が造営


平清盛  #武士と貴族の頂点に立つ  #神戸港で日宋貿易  #貨幣経済  #厳島神社  #平治(へいじ)の乱  #太政(だいじょう)大臣  #後白河天皇、平清盛、源義朝  #保元の乱で公家の世から武家の世に  #  #  #  #  #  #By 桑原政則

桑原政則へのインタビュー

桑原政則へのインタビュー

インタビュー項目
  1. 生まれと育ちは?
  2. 趣味は?特技は?
  3. 性格の長所は?
  4. 健康法は?
  5. ストレス解消法は?
  6. 今迄で苦しかったことは?
  7. よかったことは?
  8. 今取り組んでいること
  9. 座右の銘は?
  10. 好きな食べ物は?
  11. 好きな麺類は?
  12. 最近感心した本や物事は?
  13. 行ってみたいところは? 

* * *
インタビュー
  1. 生まれと育ちは?

    1940年8月13日。1940年は、昭和15年、紀元2600年です。
    零戦は、紀元2600年に生まれたので、この名があります。
    紀元2600年行事
  2. 趣味は?

    趣味は、ホームページの更新です。
    ほぼ毎日更新しています。
    1995年からです。
    ホームページは第2の脳です。
    第2の脳が毎月豊かになっているのを実感します。

  3. 特技は?
    土曜、日曜も関係なく、毎日同じ生活を続けることです。
    毎日の中に仕事、休み、遊びを入れています。

  4. 性格:長所は?

    性格のよいところは、持続性があることです。

  5. 健康法は?

    健康法は、ウォーキングです。

  6. 生活パターンは?

    朝4時に起き、昼までデスクワークです。

  7. ストレス解消法は?

    とめどなく散歩をしたり、ポタリング(輪行)をすることです。

  8. 今迄で悲しかったことは?

    これまでつらかったことは、小学生の時、妹が食あたりで死亡したことです。
    中3の時、兄貴が自動車事故でなくなったことです。

  9. 自分を物にたとえると

    自分を物にたとえると、「起き上がりこぼし」です。
    踏まれてもたたかれても、また起き上が ります。

  10. 今取り組んでいること

    今取り組んでいる書きものは、川越歴史物語です。

  11. よかったことは?

    若い時から旅で東南アジアなどの世界を体感したことです。
    日本を東南アジアから見ると、日本の良さももろさもよくわかります。

  12. 座右の銘は?

    座右の銘は「常在学習 万象皆師」です。
    万象皆師(ばんしょうかいし)とは、どこでも学習、だれもがわが師ということです。
    蛇頭龍尾(終わりよければすべてよし)は造語です。
    終わりよければすべてよし、に通ずると思います。

  13. 好きな食べ物は?

    納豆、あらゆるサカナ、焼き海苔、かつおぶし、柿、麺類、です。

  14. 好きな麺類は?

    そば、うどん、ラーメン、パスタの順です。

  15. 最近感心した本は?

    天海についての読み物です。
    江戸の歴史がおもしろくなります。
    天海僧正関係コラム まとめ

  16. 行ってみたいところは? 

    ネパールの御柱(おんばしら)を見たいです。
    諏訪との関係からです。

* * *

桑原政則アクシデント小史

・3つの時、2階の物干し台からころげ落ち、屋根のといにひっかかり無事。
・4つの時、戦争を逃れるために兄と東京から三重県松坂市まで夜行列車で10時間の旅。
・小学2年の時、教科書がカタカナからひらがなに突然変更、しばらく錯乱状態に。
・小学3年の時、さかなのハゼが木に登っているのをひとりで目撃。話しても、周囲から嘲笑のみ。
・小4の時、小6の兄が家業で20台ラジオを組み立てたのに、自分は何も手伝えなかった。
・中3の時 兄が交通事故で死亡。
・中学のときの英国英語が、後に米国英語に変更。scheduleがシェジュールからスケジュールに。
・高1の時三重県から東京に転校、言語不通。掃除の時「あー、えら(疲れた)」に級友たちはキョトン。
・大学の新聞部で登山、巨岩落下で全員が崖からあわや転落。
・大学の時、タイ国調査団を組織、手違いでひとりフィリピンに残留。
・1990年、ヨーロッパを回りスペインのクリーニング店に全衣類を預け、アフリカのモロッコへ。スペインに戻るもシエスタ(3時間の昼休憩)で受け取れず、そのまま旅を続行。
・1995年、アメリカ横断ドライブ、雪中のネブラスカでコンボイ(大型トラック軍団)にはじき飛ばされる。
・2005年、沖縄の海でダイビング、雨で視界が効かず8メートルのジンベエザメに壁に押しつぶされそうに。
・2010年、牡蠣にあたり瀕死に。

桑原政則 プロフィール

桑原政則 プロフィール 履歴



・NPO法人武蔵観研会長。前東京国際大学教授
・・・・・・・・・・・
・東京外国語大学および大学院修士課程(東南アジア)修了、
・京都大学派遣大学院 東南アジア留学生(タイ国立チュラロンコーン大学)。
・タイ国立チュラロンコーン大学 客員教授(アジア財団派遣)、
東京国際大学教授を経て、NPO法人 武蔵観研会長。
(他、Southern Oregon University 特別研究員、在Ashland, Oregon。
文科省科学研究費補助金・基盤研究で沖縄研究)

・1963年、東京外国語大学在学中にタイ国訪問団(産経新聞社他20社後援)を組織。
以来、東南アジアを中心に世界各国の観光、地域研究。
・「川越学」、「観光情報学」、「東南アジア地域研究」。川越在住。

* * * 履歴  


・1940年(昭和15年)生まれ。東京都荒川区南千住。
・1944年(昭和19年)東京空襲のため、父母と別れ、三重県 松阪市飯南(いいなん)町に兄と二人で疎開。
・1946年(昭和21年)三重県津市高茶屋へ転居。高茶屋小学校、南郊中学校 卒業。
・1956年。三重県立 津高等学校入学。1年で東京都立足立高校に転校。
・1960年。東京外国語大学入学。
・1964年、東京外国語大学時代、タイ国調査団を組織して訪タイ。堀江謙一 が1962年 太平洋横断航海をしたことに触発されたもの)。
・1966年、東京言語研究所(言語学)研究生
・1966年、東京大学 新聞研究所(社会学)研究生
・1970年、東京外国語大学 大学院修士課程を卒業。
・1970年-1972年、京都大学(東南アジア研究所) 大学院派遣留学生として
タイ国チュラロンコン大学に学び、タイを中心とした東南アジア研究に従事。

・1972年-1976年  アメリカ・アジア財団派遣によるタイ国チュラロンコン大学客員教授。
・1975年より2011年まで東京国際大学講師、助教授、教授。
東南アジアの社会と文化。言語社会学。
講義では、Word、Excel、PowerPoint、XHTML・CSS(Dreamweaverホームページ作成)、Photoshop、IllustratorなどのITツールを活用。

・1995年より自宅サーバーによるホームページを運営。「桑原政則オンライン」。 現在は武蔵観研オンラインに注力。
・2000年より  沖縄国際大学 南島文化研究所研究員
・2006年- 2011年 東京国際大学論叢(人間社会学部編)編集委員長
2000年~ 2004年、文部科学省科学研究費補助金・基盤研究(A)(2550万円X4年間)を受託し、4年間継続的に実施。
(文部科学省科学研究費補助金・基盤研究(A)(1)「基地の返還・移設、跡地利用と沖縄振興問題」)
沖縄県全52市町村のホームページを評価。

1989年。単著『東南アジアの民族と言語文化』
・1989年。「ベトナム語の親族名称」 
1997年。『アジア諸民族の言語と文化』    
1998年。「マレーシアのマルティメディア・スーパーコリドー:その現状と展開」    
1999年。「李登輝と台湾の民主化」    
2000年。「テキストスタイルによる中国語のローマ字表記法およびコンピュータ処理」   2000年。「台湾のメディアとハイテク産業;その現状と展開」    
2001年。「沖縄の情報通信の現状と展開」   
2003年。”The degree of interest in Countries shown in the 14 languages in Yahoo! Sites”   
2005年。「沖縄県全52市町村のホームページを評価する:沖縄観光振興のために」    
2005年。「Web アクセシビリティについて    Webに関するJIS規格を発展的に考える」  
2006年。「Web標準(XHTMLとCSS)の現状と展開」  
・2007年川越市にてNPO法人武蔵観研設立。
・2011年。パソコンインストラクター 資格取得
・2013年8月。埼玉県男女共同参画アドバイザー 
・2013年4月川越市『イーブン(川越市男女共同参画紙)』編集委員
・2014年1月。川越市男女共同参画検定講座修了
・2021年。埼玉県教育委員会:  交通・観光 指導者。コンピュータ 指導者。歴史・地理 指導者。産業・技術一般 指導者。コミュニティ 指導者。

・・・・・・・・・・・
・2014年6月。 gacco01  日本中世の自由と平等  講座終了
・2014年6月- 2016年6月。川越市博物館協議会委員
2016年。ga001: 日本中世の自由と平等 9/6
2016年。 ga049: 観光・レジャー産業のマネジメント  -業界イノベーションの種をさぐる-     10/27  
2016年。ga068:楽しいプログラミング講座  <はじめてのP  9/26/2016

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
・【専攻】観光情報学、言語社会学、情報文化学、東南アジア地域研究。
・【所属学会、組織】観光情報学会、情報文化学会、サイアムソサエティ。沖縄国際大学南島文化研究所研究員。川越初雁ライオンズクラブ。NPO法人武蔵観研

★ ★ ★ NPO法人武蔵観研 関係★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★

・2007年。川越市にてNPO法人武蔵観研設立。
・2009年11月。「埼玉の「広域観光」 みんなで考えようシンポ」 
・2010年3月。『川越まちなか避難・観光地図』作成。埼玉県助成。
  • 2010年6月3日、4日、5日。観光情報学会 第7回全国大会 in 川越 2010年    
    観光情報学会第7回全国大会in川越  NPO法人武蔵観研主催
  • プログラム 口頭発表
    埼玉で観光情報学会 全国大会 武蔵観研

     

    ・2010年9月。セミナー。「川越の料亭文化」長島威(たけし) 幸すし店主。川越料理店組合の組合長。
     ・2010年11月。セミナー。石井照典主監 「川越の成田山物語成田山別院
    • 2010年12月。セミナー。櫻井準也 尚美学園大学 「 遺跡を利用した明治時代の地域おこし」
    • (2011年3月以降 東日本大震災で諸行事中止)
    • 2011年6月。セミナー。内田貴之  埼玉県庁 「埼玉県の魅力を全国に発信」
    • 2011年7月。セミナー。塩入秀知  喜多院住職「喜多院の文化財について」喜多院庫裏
    • 2011年10月。セミナー。 松尾鉄城「喜多院、川越・江戸との結びつき―江戸時代初期、明治時代初期の出来事から―」
    • 1月17日。セミナー。天野利彦 「遺言は家族へのやさしい贈り物」
    • 2月21日。 桑原政則 「図解:天海僧正の生涯」
    • 3月20日。 榊原茂「川越八幡宮および八幡宮展示室について」川越八幡宮
    • 4月。桑原政則 「川越ゆかりの人々」川越市90周年記念事業。川越市助成
    • 5月。セミナー。染谷光亨(てるゆき)「健康寿命を延ばしてPPKをめざすには」
    • 6月19日。セミナー。山田敏夫 「祭文化について」
    • 7月17日。セミナー。桑原政則「川越の観光スポットについて」
    • 9月18日。セミナー。松尾鉄城  「川越の遺跡夜話」
    • 10月16日。セミナー。 粂原恒久  「川越観光の現状と展望」
    • 11月20日。セミナー。 吉田俊一  埼玉新聞「アニメによる観光おこし」
    • 12月18日。稲葉尚子 埼玉県観光部長 「埼玉観光の展望」
    • 2月19日。セミナー。山田敏夫 「日本の祭の根底にあるもの」
    • 3月19日(火) 石野栄一 「地方紙の役割と埼玉新聞」 
    • 4月16日。セミナー。 山野清一郎「川越の古地名の復活を願って」
    •  6月18日。セミナー。犬竹一浩「趣味と生活」
    • 7月16日。セミナー。 川合市長他「川越の観光地域おこし」 
    • 10月15日。セミナー。粂原恒久「生きる力」 
    • (2020年以降 コロナ禍で諸行事中止)

    ・・・・・・・・・・・桑原政則 関係
    • 2013年8月。  埼玉県男女共同参画アドバイザー 
    ・2013年4月  川越市『イーブン(川越市男女共同参画紙)』編集委員
    ・2014年6月- 2016年6月。川越市博物館協議会委員
    ・2014年1月 川越市男女共同参画検定講座修了
    2014年度- 2016年度  川越市市立博物館協議会委員
    ・2021年。埼玉県教育委員会:  交通・観光 指導者。コンピュータ 指導者。歴史・地理 指導者。産業・技術一般 指導者。コミュニティ 指導者。

    ・・・・・・・・・・・『川越の文化財』(川越市文化財保護協会)

    第1回~第20回  省略


    ・2012/2    110号     第1回  
     
    解明を待つ川越八幡宮の古文書と不二庵不二丸

    ・2012(平成24年)/6    111号   第2回
     
    喜多院の関連施設   喜多院 寺域外の関連施設
    「仙芳仙人塚、三変土田神社、龍池(りゅうち)弁財天」

    ・2012(平成24年)/10    第112号    第3回
    「喜多院内の関連施設」
    「客殿、多宝塔、慈眼堂、五百羅漢、鐘楼門、山門」

    ・2013(平成24年)/2    第113号    第4回
    「蓮馨寺の後北条6偉人」
    「大道寺政繁、蓮馨大姉、存貞、存応、呑龍、知鑑」 ・2013(平成25年)/7    第114号        第5回 「蓮馨寺案内」 「後北条から江戸までの歴史を秘める川越市民のいこいの寺」 ・2013(平成25年)/10    第115号        第6回 「中院案内:境内の花や木々が季節の風物詩に」 ・2014(平成26年)/3    第116号        第7回 「養寿院 案内:静かにたたずめば、禅の雰囲気がただよう由緒ある道場寺院」  養寿院  画像  @@    養寿院コラム

    第8回「広済寺」第118号(平成26年10月、2014年)「広済寺  案内:「どっこい喜多町・広済寺」と親しまれ、伝説にも富む広済寺」」 ・第9回「光西寺」#119号(平成27年、2015年)川越観光案内  
    「光西寺。  浜田市、棚倉町、川越市と、藩についてきた士族寺で、徳川文書を多数保存」
    福島県・棚倉町(たなぐらまち)のページ

    第10回[常楽寺」  画像#120号(平成27年7月、2015年)川越観光案内  
    国指定史跡「河越館跡」の中心寺 ・第11回「本應寺」 #121号(平成27年11月、2015年)
    松山城(吉見町)で滅亡した主君の夢を、川越・石原で本應寺として実現 ・第12回「大蓮寺」 #122号(平成28年3月、2016年)
    周囲にも見所多い浄土宗の大寺。赤間川、濯紫公園と隣接 ・第13回「真行寺」 #123号(平成28年7月、2016年)
    武田信玄の妹・真行尼が開基。本堂の引き戸には、武田家の紋所・菱形を4つ合わせた武田菱(びし) が燦然と。」 ・第14回「妙昌寺 」 #124号(平成28年11月、2016年) ・第15回「西雲寺」 #125号 ・第16回「第16回 榮林寺(えいりんじ) 」 #126号 ・第17回    「川越氷川神社」  
    第18回    「川越氷川神社  その2」
    第19回    「川越氷川神社 その3」

    【cf.】
    https://kuwabara03.blogspot.com/search?q=%E5%B7%9D%E8%B6%8A%E6%B0%B7%E5%B7%9D%E7%A5%9E%E7%A4%BE

    ・2019/3         131号 第21回 その1
    柿本人麻呂  
    円仁  
    綾部利右衛門 
    相原求一朗  
    生沢クノ  
    田部井淳子  

    ・2019/7      132号  第22回  その2
    尊海  
    大道寺政繁  
    蓮馨尼  
    真行尼  
    横田五郎兵衛  
    福澤桃介
    ・2019/11      133号  第23回  その3
    松平斉典  
    松平朝矩(とものり)
    安岡嶺南  
    内池武者右衛門

    ・2020/2      134号  第24回  その4
    酒井重忠  川越藩の初代藩主
    酒井忠勝  川越藩3代藩主
    水村精(きよし)
    喜多欽一郎  

    ・2020/7      135号  第25回  その5
    橋本雅邦
    石原久
    高林謙三
    忽滑谷快天
    高田早苗

     ・2021/2      136号  第26回  その6
    河越重頼
    感誉存貞
    奥貫友山

    ・2021/3      137号  第27回  その7
    慈恵(じえ)大師・良源
    3代・北条氏康
    花村 えい子
    発智庄平 

    ・2021/6      138号  第28回  その8
    渋沢栄一 特集
    ・「民間」が世を良くするのが夢 
    ・川越を愛した渋沢栄一
    ・飯能戦争の渋沢平九郎
    ・渋沢栄一は女子教育、社会事業にも熱心


    桑原政則のアルバム

    桑原政則へのインタビュー

    プロフィールの書き方: 桑原政則の場合 (2006年)

    観光、川越、IT、ブログ、ホームページなどについては、ご連絡ください。
    kuwabaramasanori@gmail.com

    ・・・・・・・・・・・
    桑原政則の守備範囲    2021/08/15
    1. アセアン(ASEAN)
    2. アメリカ    人物
    3. アメリカ合衆国オレゴン州
    4. 伊勢
      三重県  尾鷲:鬼=修験者  =隠=神秘的な力  平城京を守る結界  → 平安時代には鬼は退治されるものに
    5. 川越史
    6. 川越の先人
    7. 健康
    8. 古事記
    9. 情報術
    10. シンガポール
    11. 人物    日本史の人物    世界史に人物
    12. 図解
    13. 水泳
    14. ストレッチ
    15. 諏訪
      縄文  諏訪大社  出雲との関係   古事記   戸矢学  柱  小倉美恵子 
      平安時代には八ヶ岳が崩れ小海町などが巨大な湖に  海尻    海ノ口 
      1 モレヤ→
      2 モレヤ⇔タテミナカタ  
      3 タテミナカタ⇔諏訪大社
    16. 世界史の人物
    17. タイ
    18. 台湾
    19. 天皇
    20. 東南アジア     ASEAN<人物  リー・クアンユー    李登輝    タイの人物
    21. 日本    日本史
    22. 日本語
    23. 仏教    寺社
    24. 文章術、仕事術
    25. 文明論
    26. 歴史> 人物    世界史    日本史    川越史
    27. 文筆家:大前研一、梅棹忠夫、司馬遼太郎、寺島実郎、藤原正彦、渡部昇一


    マルクス。マルクス主義の創始者。3月14日没。Karl Marx

    マルクス。マルクス主義の創始者。3月14日没。Karl Marx

    カール・マルクス

    ・1818年5月5日- 1883年3月14日(64歳没)

    カール・マルクスは、マルクス主義の創始者、革命家です。

    ユダヤ人弁護士の子としてドイツに生まれました。


    1843年パリにうつり
    終生の友エンゲルスに出会いました。

    エンゲルスと『共産党宣言』をだしました。

    マルクス主義は、
    土地や工場などを共有にして、
    階級による差別をなくす理想社会をめざします。


     ロンドンに亡命し、資本主義社会の研究をつづけました。
    『資本論』を書きました。


    エンゲルスはドイツの織物工場主の家に生まれました。
    マルクスを終生経済的に援助しました。

    【ショート】







    名言

    「すべてを疑え」

    佐藤優の資本論。マルクスの資本論  【5+】


    カール・マルクス  #『共産党宣言』  #エンゲルス #『資本論』  #マルクス主義  #  #  #  #  #  #  #  #  #  #By 桑原政則






    【NPO武蔵観研 通信】396号:2025/03/12

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    【NPO武蔵観研 通信】396号:2025/03/12

      musashikanken[at]gmail.com    

                                      【 編集発行  桑原政則 】   

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    ◆03/11 :プラトン。古代ギリシャの哲学者で、西洋哲学の源流をきずく。 ソクラテス ⇒ プラトン ⇒ アリストテレス
    https://kuwabara03.blogspot.com/2019/03/plato.html


    ★ 【プラトン】「西洋哲学の基礎を築いた思想家。 ソクラテスの弟子、アリストテレスの師」




    ◆03/10 :はてな?スポーツ_相撲の基本知識 【ショート】
    https://kuwabara03.blogspot.com/2025/03/blog-post_10.html


    ☆【相撲の祖】「出雲でタケミカヅチは タケミナカタを投げ飛ばしました。タケミナカタは諏訪へ逃げ出しました」




    ◆03/09 :スターリン。非道の限りのソ連建国の父。3月5日没
    https://kuwabara03.blogspot.com/2023/03/35.html


    【スターリン】「非道の独裁者」


    ・・・・・・・・・・・

    〇〇 その他  〇〇 


    〇  川越

    川越  YT  ・ YT「川越市 チャンネル」  ❖ 川越市役所新着   動画   市長室       議会 3、6、9、12月



    ★ 相撲の土俵は川越から  ↓




    ★ はてな?

    ◆03/08 :はてな? べらぼう NHK大河_朱子学、林羅山、3代 家光、4代 家綱、5代 綱吉、湯島聖堂
    https://kuwabara03.blogspot.com/2025/01/nhk.html


    ☆【朱子学】「江戸時代に幕府の精神的支柱に。上下の秩序を重んじること」



    ┏━━■ 

    ┃後記┃ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

    ┗━━┛

    〇 後記


    〇  ロシアからは民主主義はうまれない


    ロシアの宗教は、東ローマ帝国の東方正教会に由来します。
    特徴は、「政教一致」です。
    治」と「宗」の一致です。
    政治のトップ 皇帝と宗教 の神が 一体化しています。
    ロシア皇帝は教会も支配します。

    独裁政治が横行します。

    ロシア人が好きな人物は、
    ピョートル大帝、スターリン、プーチンです。


    〇  相撲の土俵の土は、川越から


    荒木田土(あらきだつち)は、荒川が氾濫し、堆積していった土です。
    水田で水にさらされた良質な土で、粘度が高く大変固まりやすいです。

    荒木田土(あらきだつち)は、粘りがあり、ひび割れしにくく、また滑りにくいため土

    俵に適しています

     
    国技館の土俵や野球場のピッチャーマウンドの土として利用されています。


    大相撲の土俵の土は、初野建材が「 ハツノの荒木田土」【pic】としてあつかっています。


    川越の土は、大阪、名古屋、福岡でも活躍しています。


    国技館情報

    1月 東京    3月 大阪    5月 東京    7月 名古屋    9月 東京    11月 福岡